矢沢永吉 体現し続ける「夢と成功と反骨」のロック “時代感”帯びた「10メートル先のタバコ屋に…」

[ 2022年6月14日 05:00 ]

デビュー50周年 矢沢の金言(1)

75年、アメ車の屋根でゴキゲンな「キャロル」時代の矢沢(前列右)。メンバーのジョニー大倉(同左)、ユウ岡崎、内海利勝(上)
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 「10メートル先のタバコ屋に…」は最初の矢沢語録であり、最も“時代感”を帯びた名言だ。

 キャデラックは当時の日本人の憧れだったアメ車の最高峰。あの頃の日本にあったハングリー精神と上昇志向の象徴だったが、その欲望をむき出しに語る人は少なかった。特に1972年の音楽界は、ド演歌のぴんからトリオ「女のみち」が300万枚超の歴史的ヒット。若者の間では四畳半フォークの風が吹き始め、サブカルチャー的な扱いだったロックも「はっぴいえんど」など多くが商業主義を否定していた時代。矢沢の言葉に反感を持つ人が出るのは自然なことだった。

 それが、多くの若者に共感を呼ぶこととなったのはなぜか――。革ジャン&リーゼントで初期衝動全開で吠える矢沢の強烈な引力はさることながら、この言葉そのものに鮮烈な魅力があり、それはキャデラックの使い方にあった。ハイライトは大衆向けタバコの代表格。それを最高峰のアメ車に乗って、たった10メートル先のタバコ屋に買いに行きたいという思考に、記者がキョトンとしたのも無理はない。しかし、この不合理な夢の描き方こそがロックンロールを体現しており、「成功」とは何かをこれほど無邪気に、反骨心丸出しで、誰もが映像で思い浮かべられる言葉で表現した人はいなかった。

 矢沢は言う。成功を手にするには「自分が何が欲しいのか明確にし、それを具体化させ、実際に言っちゃうことで逃れられないようにし、自己暗示のように何度も言って自分を奮い立たせるんだ」。

 あれから50年。時代は大きく変わった。アメ車もハイライトも当時の立ち位置にはいない。だが矢沢だけは、変わらず「夢と成功と反骨」のロックをいまも体現し続けている。

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