去りゆく平成に「イエスタデイ・ワンス・モア」――阪神と甲子園が送った令和へのメッセージ

[ 2019年5月1日 12:15 ]

平成最後のプロ野球を終えた甲子園球場の電光板には「ありがとう 平成」の文字が掲示された(30日午後9時33分ごろ)
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 【内田雅也の広角追球】阪神が本拠地・甲子園球場で勝った試合後、ヒーローインタビューに続き、六甲おろし(正式には阪神タイガースの歌)が流れ、ファンは大合唱する。猛虎党には至福のひとときだ。

 そのまま、右翼スタンドの応援団が各選手のヒッティングマーチを演奏し、勝ちどきをあげる。

 平成最後の一戦となった4月30日の広島戦終了後も同じように、この流れは続いた。そんなとき、スコアボードの電光板が切り替わり、緑地に白い明朝体で大きく、

 「ありがとう 平成」

 と映し出された。

 さらに、場内にはカーペンターズの『イエスタデイ・ワンス・モア』が流れてきた。静かで美しいカレン・カーペンターの歌声に居残っていた観客は聞き入った。応援団やファンも鳴り物や合唱をやめたほどだった。

 「平成を振り返ったときにふさわしいものを、と考えました」と、阪神球団営業部次長、大西邦佳さんは話す。平成最後となる退位の日、プロ野球はセ・リーグ3試合が予定され、ナイターは甲子園での阪神―広島戦だけ。球団と球場で平成最後の一戦としてのファンサービスを検討した。

 来場者全員に「観戦証明書」を配った。ファーストピッチ・セレモニーには2003年リーグ優勝時の最優秀選手(MVP)の井川慶氏(39)を招き、同年最優秀バッテリー賞(スポーツニッポン新聞社・電池工業会共催)を受けた矢野燿大監督(50)との名コンビを復活させた。

 試合終了後をどうするか。メッセージと選曲には去りゆく平成への思いをこめた。

 「タイガースの平成時代はいいことも悪いこともありました。ただ、まとめてみれば、いい時代でした。時代への感謝の意味をこめて“ありがとう 平成”としました」

 感謝は阪神が、そして矢野監督が大切にしている姿勢である。就任時に掲げた「誰かを喜ばせる」はまさに感謝の力を意味する。「応援してくれる人びとがいて、自分がいる。ありがとうという気持ちは自分に元気や勇気をくれる」。

 もちろん、平成への“ありがとう”は来る令和に対して“良き時代を”との祈りにもなる。

 またBGMを『イエスタデイ・ワンス・モア』としたのは「平成を振り返り、郷愁に浸りたいという、センチメンタルな意味もこめた」と大西さんは言う。

 1973(昭和48)年リリース。全米ビルボード2位、日本ではオリコン洋楽チャート26週連続1位を記録した。

 昔、ラジオで聴いていた曲を懐かしみ、「本当に幸せな時だった」「昔と同じように、昨日みたいに」と歌う。

 1924(大正13)年完成の甲子園球場はことし8月1日で満95歳となる。球場では2024年の100周年に向け、「さあ、行こう→100年へ。」と題し、95周年事業を展開している。もちろん、新時代の到来を祝いつつ、大正―昭和―平成―令和と生き抜いてきた甲子園球場には昔と変わらぬ良さがある。そんなメッセージもこもっていよう。

 それはたとえば、1989(平成元)年公開、ケビン・コスナー主演の映画『フィールド・オブ・ドリームス』でも描かれている。黒人作家テレンス・マン(原作ではJ・D・サリンジャー)が「長い年月、変わらなかったのは野球だけだ」と語りかける。「アメリカはばく進するスチームローラだ。全てが崩れ、再建され、また崩れる。だが、野球は、その中で踏みとどまった」

 世界的な「野球史家」でもあるノンフィクション作家、佐山和夫さん(82)は「元来、野球はノスタルジックなスポーツと言えます。過去と現在は表裏一体で未来につながっていくものなのです」と話していた。

 思い出や記憶とともに野球はある。そして甲子園球場も、阪神タイガースもある。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) カーペンター兄妹の妹・カレンは野球やソフトボールが大好きだった。雑誌に載った打席の写真を覚えている。自宅マンション近くの路上で近所の子どもたちと野球をして遊んだりしていたそうだ。1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。大阪本社発行紙面で掲載の『内田雅也の追球』は13年目を迎えている。

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