歌舞伎俳優・市川左団次さん 右下葉肺がんで死去 82歳 敵役で存在感 関係者「最後まで稽古」

[ 2023年4月17日 05:10 ]

市川左団次さん
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 「暫」の清原武衡など敵役からユーモラスな役まで幅広い芸で知られる歌舞伎俳優の市川左団次(いちかわ・さだんじ、本名荒川欣也=あらかわ・きんや)さんが15日午前3時48分、右下葉肺がんのため死去した。82歳。東京都出身。葬儀は20日午前9時30分から、東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は妻荒川千絵(あらかわ・ちえ)さん。

 舞台に立ち続ける意欲を最後まで持ち続けながら静かに旅立った。周囲には明かさずにがんで闘病しており関係者は「心配をかけないよう、最後まで俳優として舞台に立ち続けるため稽古に励んでいたようです」と明かした。

 今月「鳳凰祭四月大歌舞伎」に出演予定だったが体調不調で休演。来月の「團菊祭五月大歌舞伎」、その翌月の「六月大歌舞伎」への出演も予定していた中での訃報となった。最後の舞台は今年1月に東京・国立劇場で上演された「遠山桜天保日記」。昨年11、12月には十三代目市川團十郎白猿の襲名興行で口上も務めており、元気な姿を見せたばかりだった。

 左団次さんは47年に市川男寅として初舞台。62年に市川男女蔵を経て79年に四代目市川左団次を襲名した。2億円規模の豪華な襲名披露となったが、それがきっかけで借金を抱え、前妻との間で金銭トラブルに発展し離婚したこともあった。

 歌舞伎界では珍しい1メートル80近い高身長で、敵役で見せる存在感に定評があった。立役、女形、老け役などを器用に演じ分け、近年は“名バイプレーヤー”として多くの舞台を支えていた。

 歌舞伎にとどまらずNHK大河ドラマ「風林火山」など時代劇でも活躍。見た目の迫力と裏腹にトークは軽妙。バラエティー番組などで面白おかしく失敗談などを語ることも多かった。歌舞伎だけでなく広く芸能の世界で愛された生涯だった。

 市川 左団次(いちかわ・さだんじ、本名荒川欣也=あらかわ・きんや)1940年(昭15)11月12日生まれ、東京都出身。11年に旭日双光章を受章。17年に日本芸術院賞を受賞。私生活では離婚を経て06年に25歳年下の一般女性と結婚。屋号は高島屋。

 ▼市川團十郎 左団次のおじさまは、私が生まれた時からお世話になった大恩人です。昨今では、市川宗家としての私に対して、「市川宗家である」ということを左団次さんは行動で示し続けてくださいました。昨年11月、12月の團十郎襲名では、2カ月間お付き合いくださり、本当に感謝してもしきれません。私自身はもとより、歌舞伎界にとりましても大変な損失です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 ▼尾上菊五郎 驚きとともにさみしい気持ちでいっぱいです。今日、左団次さんに会ってきましたが、そばにいてお顔を見ているといろいろな思い出が胸にこみ上げてきました。役者としても人間としても明るく優しい、ちゃめっ気もある、素晴らしい仲間です。5月、6月の歌舞伎座でご一緒できるのを楽しみにしていました。今はゆっくり休んでほしいとただただ願うばかりです。

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2023年4月17日のニュース