大谷からさかのぼること104年…ルース偉業達成時の地元紙紙面を入手 歴史的快挙は注目されていなかった

[ 2022年8月11日 02:30 ]

ア・リーグ   エンゼルス5ー1アスレチックス ( 2022年8月9日    オークランド )

左が1918年8月9日、ルースが10勝達成時の地元紙「ボストン・グローブ」の紙面 右は同じく6月29日、10号達成時の同紙の紙面
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 ルースが10勝目を挙げ「2桁勝利&2桁本塁打」を達成したのは、1918年8月8日。その翌日9日付の地元紙「ボストン・グローブ」の紙面を本紙が入手した。紙面を見ると、当時は記録自体は全く注目されていなかったことが分かる。

 レッドソックスの勝利を伝えるのみで、ルースに関する見出しはなし。投球については「リードがあったため、高めに投げて打たせて取った。9回7安打4四球3奪三振の1失点完投。打っては4番で1安打1打点」と記述されている。チームは首位争いをしており、話題はペナントレースの行方に終始。ルースの本塁打は6月30日の11号を最後に止まっており「ア・リーグ記録の16本を抜くと思われたが、シーズン短縮も決まり、もう無理だろう」と嘆いている。

 勝ち星より先に大台に到達した本塁打は、達成翌日の6月29日付に「ルースがハーパーから10号を放った」と見出しにある。興味深いのは、同じ紙面の右下に「日本人選手が決勝で敗れる」の見出し。米国選手がテニスの大会で柏尾誠一郎を倒したという記事だ。柏尾は2年後、1920年のアントワープ五輪の男子ダブルスで日本人史上初のメダル(銀)を獲得した選手として知られる。

 ≪「天国の門」にある墓 ピザが消えた?≫マンハッタンから電車で約1時間。ルースの墓はニューヨーク郊外の「天国の門(Gate of Heaven)」と称される墓地にある。ヤンキースのビリー・マーチン監督ら、多くの著名人が眠る敷地は広大だ。

 その中でも、小高い丘の上にあり、墓石の前にバット、ボール、ヤ軍の帽子などが数え切れないほど供えられたルースの墓は格別な存在感を放つ。訪れる人は絶えず、ファンの巡礼地になっている。

 4年前に出版したルースの伝記「The Big Fella」がベストセラーになった作家ジェーン・リービーさんは、こんな逸話を披露してくれた。

 「03~04年ごろ、ルースの墓にファンから熱々の巨大なピザが配達されたことがあったんです。処理に困った管理人がそのままピザの箱を残したところ、翌朝には空っぽ。誰が食べたのか。いまだに謎のままです」

 にぎやかな墓の様子を眺めていると、ファンに誰よりも愛され、同時に大食漢で大の酒好きだったというルースのほほ笑む姿が浮かんでくるようだった。(杉浦大介通信員)

 ≪ルースの孫が語る大谷との共通点は「足の速さ」≫ルースの子孫たちも大谷の活躍に胸を躍らせている。孫でニューハンプシャー州在住のトム・スティーブンスさん(70)は、祖父が亡くなった4年後に誕生。ルースに直接会ったことはないものの、「大谷との比較でベーブ・ルースの名前が再び世に出る。それが私たち家族にとっては一番」と喜ぶ。

 2019年に101歳で亡くなったスティーブンスさんの母・ジュリアさんは、ルースとともに1934年の日米野球で来日。着物を着た紳士がホテルの部屋を訪れ、袖から次々とボールを取り出して父にサインを求めたそうで「いつまでも終わらなくておかしかった」とよく思い出し笑いをしていたという。

 スティーブンスさんは、祖父と大谷の間には多くの共通点があると指摘。「ルースは太っていて足が遅いと思っている人がいるかもしれないが、ヤンキースに移籍した時の体重は180ポンド(約82キロ)で足も速かった。ホームスチールも10回記録している」と話した。

 ≪ニグロ・リーグでは2人≫米国ではベーブ・ルース以降に「2桁勝利&2桁本塁打」を達成した選手が実は2人いる。

 1920~48年に存在した黒人選手中心の「ニグロ・リーグ」で、22年にモナークスのブレット・ローガンが「14勝&15本塁打」、27年にスターズのエド・ライルが「11勝&11本塁打」を記録。これまでは大リーグの記録とは別の扱いをされてきたが、MLBはニグロ・リーグ創設100年を迎えた20年12月に黒人選手の功績を称え、同リーグの記録も大リーグと同等であることを認めて個人記録を組み込むことを発表した。

 ただニグロ・リーグの記録についてMLBは、公認の記録専門会社エライアスによる確認作業が継続中としている。

 ▽大谷の日本での2桁勝利&2桁本塁打 日本ハム時代には14、16年の2度、達成している。

 14年は8月26日に自身初の2桁10勝目。9月7日に10号本塁打を放ち、日本プロ野球初の2桁勝利&2桁本塁打を達成。最終的に11勝&10本塁打だった。16年は7月3日に10号本塁打。リーグ優勝を決めた9月28日の西武戦で1安打完封で10勝目を挙げ、2度目のダブル2桁達成。この年は10勝&22本塁打した。

 ▽1918年(大7)の日本の主な出来事 世界は第1次世界大戦(1914~1918年11月11日)のさなか。

 日本軍のシベリア出兵に伴う米価の高騰に苦しむ富山・魚津の漁師の妻らが米の船積み作業を阻止したことを発端とし、米騒動が勃発。値下げ交渉が中心だったが、全国に飛び火するうちに市民運動と化し、第4回全国中等学校優勝野球大会(現夏の甲子園)の中止や寺内正毅内閣の総辞職に発展した。

 3月に松下幸之助が大阪市に松下電気器具製作所(現パナソニック)を創業。7月には小説家・鈴木三重吉が児童文芸雑誌「赤い鳥」を創刊した。
 

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