見るものを引き込む何かがあった旭川大高9回の反撃

[ 2022年8月11日 04:05 ]

第104回全国高校野球選手権第5日・1回戦   旭川大高3―6 大阪桐蔭 ( 2022年8月10日    甲子園 )

<大阪桐蔭・旭川大高>善戦するも大阪桐蔭に敗れ、引き揚げる旭川大高ナイン(撮影・後藤 大輝)
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 【秋村誠人の聖地誠論】銀傘に大きな手拍子がこだまする。何かが起こるかもしれない。そんな雰囲気が甲子園を包み込んだ。大詰めの9回。1万7000人の観衆が見守るドラマの主役は、間違いなく旭川大高(北北海道)の選手たちだった。

 3点差。でも、それは絶対王者・大阪桐蔭にとって、この試合に限ってはセーフティーリードではなかった。1死から代打・桜井皐貴(こうき=3年)が四球を選ぶ。2死となっても諦めない。2番・広川稜太(3年)の打球が左前へ抜け、手拍子が一段と大きくなる。続く3番・藤田大輝(3年)が一塁内野安打でヘッドスライディングすると、スタンドのボルテージはもう最高潮だ。

 こんな光景を、何度か見た。スタンドが一体化して選手たちを後押ししていく。すぐに思い出すのは09年夏の決勝。日本文理(新潟)が9回に驚異的な追い上げで5点を奪い、中京大中京(愛知)を追い詰めた。あの日と同じように、旭川大高ナインには見る者を引き込む何かがあった。

 同校には今も心に残るOBがいる。北北海道勢として初めて甲子園2勝した80年夏の4番で、40歳という若さで他界した鈴木貴久さんだ。80年夏の1回戦。日向学院(宮崎)に2点を奪われた延長13回に逆転サヨナラのホームを陥れた。完全にアウトのタイミングで捕手に体当たり。闘志の塊のような選手で、近鉄入り後に「北海の荒熊」と呼ばれた。その鈴木さんの魂が、今も受け継がれているのではないか。そんなふうに感じた。

 3―6。最後の反撃は実らず、29年ぶりの勝利はならなかった。端場雅治監督は「大阪桐蔭さん相手に勝つなら、うちが100%のゲームをできないとダメだという思いを生徒に伝えていた」と振り返る。それが痛い走塁ミスやバッテリーエラーを生んだと敗因に挙げたが、大阪桐蔭に挑む覚悟も、勝利への意欲も100%以上だった。

 校名変更で現校名で臨む夏の甲子園は、これが最後という。王者を苦しめた夏。校名が変わっても「旭大高(きょくだいこう)」の名と「北海の荒熊」の魂は忘れない。(専門委員)

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2022年8月11日のニュース