ルースより大谷の方が達成難易度高かった 米の歴史家が見る1918と2022の2桁弾&2桁勝利

[ 2022年8月11日 02:30 ]

ア・リーグ   エンゼルス5ー1アスレチックス ( 2022年8月9日    オークランド )

<アスレチックス・エンゼルス>3回、大谷はブライドを空振り三振に仕留め日米通算1000奪三振を達成(撮影・大森 寛明)
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 ルースが「2桁勝利&2桁本塁打」を達成した1918年には、どんな形で大リーグがプレーされていたのか――。1910年代のレッドソックスに関する多くの著書で知られる歴史家のグレン・スタウト氏(63)が当時を振り返り、大谷が達成した現在との違いを語った。(取材・構成 奥田秀樹通信員)

 104年ぶりの2桁本塁打&2桁勝利。1918年と2022年では、大リーグの野球も全く違うから比較は難しい。ただ、あえて甲乙をつければ、私は大谷の達成の方が難しかったと思う。

 投手の球数が管理され、早めに交代させられる現代の野球で先発投手が勝ち星をコンスタントに積み上げるのは難しい。一方、ルースは18年の登板20試合のうち、19試合に先発して18完投。延長戦でも続投したケースが3度あった。だから、13勝7敗と登板試合全てに勝敗が付いたのだ。

 加えて、ルースがいたレッドソックスは同年75勝51敗でペナントレースを制した強豪。第1次世界大戦下で、多くのチームは「どうせお客が入らない」と給料の高い選手をトレードに出していた。しかし、当時のレ軍のオーナーは逆の考えで、勝つための絶好の機会だと補強。戦時下で126試合制の短縮シーズンで、ルースも途中で病気(スペイン風邪)で一時戦列を離れながらも、13勝することができた。

 一方、本塁打は11本しか打てていない。特に7月以降はゼロだった。当時はいわゆる「デッド(飛ばない)ボール時代」。材料になる牛革や羊毛で質の良いものは全て軍に回され、質が良くなかった。試合中はめったにボールを交換せず、ファウルがスタンドに飛び込むと、球場係員が回収。1試合5~6個でまかなっていたようだ。何試合にもわたって使用され、7、8月は使い古したボールしか残っていなかった。ずっと使っていると柔らかくなり、もっと飛ばなくなる。

 実はこの年、ルースの本拠地のフェンウェイ・パークでの本塁打は何とゼロ。あの球場は中堅が特に深いが、ライトもポール付近以外は深い。さらに当時は現在よりも左翼が11.5フィート(約3.5メートル)、右翼が25フィート(約7.6メートル)、中堅最深部は90フィート(約27.4メートル)も深かった。レ軍での最後のシーズンとなった翌19年はルースは29本をマーク。しかし、シーズン前半は品質の悪いボールのままだったから、5月末まではたったの3本だった。

 また、私が大谷の達成の方をより難しいと感じる理由は、周囲が「二刀流なんて無理。ケガをするだけ」と否定的な目がある中で、実現してみせたから。ルースは戦争で選手が足りなかったため、文句も出ることなく、やりたいようにやることができたという背景もあったのだ。

 ▽ルースの1918年 世界中でスペイン風邪が流行。ルースも5月に感染し、19~29日を欠場した。当時はウイルスの正体が分からず、死亡説さえ出たほど。

 同年は第1次世界大戦の真っ最中で、9月1日でのレギュラーシーズン打ち切りが8月2日に発表。打者転向を希望していたルースだが、ワールドシリーズに出るために最後の1カ月は投手としてフル回転し、8試合で6勝して13勝を挙げた。

 同時に11本で自身初の本塁打王を獲得。チームの126試合中、95試合の出場ながら投打で奮闘し、世界一の立役者になった。

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