ささやき戦術、再生工場、ID野球、ギャンブルスタート…野村克也氏の名采配

[ 2020年2月11日 11:12 ]

本塁打を放った新庄剛外野手(右)を握手で迎える阪神・野村克也監督(2000年)
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 元ヤクルト、楽天などの監督で、「ノムさん」の愛称で親しまれた、野村克也(のむら・かつや)さんが亡くなった。84歳だった。京都府出身。ヤクルトの監督としてチームを3度の日本一に導いた名将の采配を振り返る。

 ★ささやき戦術 スポーツの試合前に言葉で挑発し、相手を心理的に揺さぶる作戦をトラッシュトークと呼ぶ。ボクシングのムハマド・アリなどが代表的だが、日本球界では現役時代の野村が戦術として使用して有名になった。捕手としてマスク越しに「あれスタンスを変えたんか」「カーブを待っとるんやろ」と意表を突くささやきで打者の集中力を妨げた。

 ★再生工場 南海の選手兼任監督だった77年6月、肩に故障を抱え前年20試合に先発して6勝止まりだった江夏豊の適正を見抜いて救援転向を通告。「リリーフの分野で革命を起こせ」と、救援投手という新たな役割でパイオニアになるよう説得し、その年19セーブと見事に復活させた。野村が再生させた選手は江本孟紀(当時南海)、小早川毅彦、高津臣吾、吉井理人(いずれも当時ヤクルト)、藤本敦士(当時阪神)、山崎武司、鉄平(いずれも当時楽天)など多数。江本は野村の再生方法は特別な技術ではなかったといい、「気分的なものが大きい。会話の内容がやる気を起こさせる」と証言している。

 ★ID野球 監督としての野村の代名詞で、「Import Data(データ活用)」の造語。ヤクルト監督時代に導入した。南海時代から試合中の思ったことを書き留めた「野村ノート」を基に守り勝つ野球を提唱。投手の配球や傾向、打者の得意なコースなどをデータ化し、キャンプ中からミーティングで選手に徹底させた。打球の質に応じてA、B、Cランクをつけ、他球団では凡打で処理されるデータもAランクなら「危険」と位置づけた。様子見に投じるボール球を無意味とし、無理、無駄、ムラの三つの「ム」を省くことで効率的な野球を実践した。

 ★クイックモーション 70年代前半に阪急・福本豊の盗塁を封じるため、南海の選手兼任監督当時にドン・ブレイザーヘッドコーチと考案した。投手のフォームを小さくし、足をほとんど上げないすり足で投球時間を短縮した。考案前は捕手の責任とされた盗塁は、クイックの導入以降「投手と捕手の共同作業」として浸透。効果的な戦術として大リーグも逆輸入したとされている。

 ★ギャンブルスタート 投球がバットに当たった瞬間に走者がスタートを切ること。野村はこのプレーを「ギャンブルスタート」と名付け、楽天監督時代まで多用した。ヤクルト監督時代の92年、3勝3敗で迎えた西武との日本シリーズ第7戦(神宮)の7回1死満塁の場面で二塁ゴロでスタートを切った広沢克実が本塁で憤死。結果として3勝4敗で日本一を逃したことを教訓にライナーゲッツーOKのギャンブルスタートを徹底した。

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