【野村克也氏語録】「ひっそりと咲く月見草」「神様、仏様、田中様。稲尾2世ができたな」

[ 2020年2月11日 10:54 ]

野村克也さん
Photo By スポニチ

  元ヤクルト、楽天などの監督で、「ノムさん」の愛称で親しまれた、野村克也(のむら・かつや)さんが亡くなった。84歳だった。京都府出身。野村さんが残した数々の名言を振り返る。

【野村克也氏語録】

 「南海電車に飛び込み自殺します」
 54年にテスト入団した南海から1年で解雇されそうになって。

 「自分をこれまで支えてきたのは王や長嶋がいてくれたからだと思う。彼らは常に人の目の前で華々しい野球をやり、こっちは人の目のふれない場所で寂しくやってきた。悔しい思いもしたが花の中にだってひまわりもあれば人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」
 75年に史上2人目の通算600本塁打を達成した際、人気球団のスターと自らを比較して。

 「抑えの切り札として野球の革命児になってもらいたい」
 南海の監督兼捕手だった76年、阪神から移籍した江夏豊に当時は異例のストッパー専任を指示。

 「アマチュアは栄光を求め、プロは生活のためにプレーする」
 77年に南海の監督兼捕手を解任され、ロッテに移籍。「生涯一捕手」を宣言。

 「常識的に見れば巨人は強い。でも勝負は不思議なもので、強い者が勝つとは限りません」
 ヤクルト監督時代の97年1月、清原、ヒルマンらを補強した長嶋巨人に宣戦布告。

 「監督で1000勝という価値観はよく分かりませんが、選手時代の記録とは違った味わいがある」
 97年4月16日の横浜(現DeNA)戦で史上9人目の監督通算1000勝を達成。

 「プロ野球界は一般社会とつながっている。これだけの不況の中で、リストラが進んでいる。同じ世代のためにも頑張らねばと思い、最後のご奉公と思って決心した」
 98年10月に阪神監督就任。

 「スーパーカーはもう古い、これからの時代はF1」
 赤星憲広ら俊足7選手をかつての大洋(現DeNA)のスーパーカートリオ(屋鋪要、高木豊、加藤博一)を意識してネーミング。

 「いい嫁さんもらわんと一生の不覚や。サッチー(沙知代夫人)は嫁としては理想じゃないが、結果的には福まん、あげまんですよ」
 阪神監督時代の99年、当時独身の新庄剛志に結婚のススメ。

 「今さらなんで?って思うやろなあ。まさに波瀾(はらん)万丈の人生やからな」
 阪神監督解任の翌02年に社会人野球・シダックスの監督就任。

 「個人的に予告先発は大反対。勝負事は読み合い。試合前から試合は始まっている。知恵を絞り、頭を使ってやるのが野球。ああいう制度があると監督も育たない」
 楽天監督就任が決まった05年11月、予告先発制度の廃止を提案。

 「うちには天才バッターはいない。二流には二流なりの打ち方があるのに」
 貧打が続く楽天打線にボヤキ。

 「あのスライダーは一級品。心配もあったけど(プロの打者も)振る。松坂の後継者ができたわ」
 07年2月の久米島キャンプで高校生ドラフト1位入団の田中将大の投球を見て。

 「昔は銀座の店で取材した。他球団の選手の席についた女の子の名前は全部、覚えてささやいた」
 07年に大学・社会人ドラフト3位入団の嶋基宏へ伝説の「ささやき戦法」を直伝。

 「まだ5位か。上に4人もいるのか。じゃあまだ死ねないな。お迎えは待ってもらわんとな」
 07年6月13日の交流戦・中日戦で歴代5位タイの監督通算1384勝目。

 「これじゃオールスターダスト(星くず)や」
 07年の球宴ファン投票最終中間発表で楽天勢が7部門でトップと聞いて。

 「マー君、神の子、不思議な子。不思議の国のマー君。調子も最悪。何点取られるか投げ続けさせようと思ったら、天から神様が降りてきた」
 6回8安打5失点の田中が9勝目を挙げた07年8月3日のソフトバンク戦後に。

 「長い間やっていれば、いろんな記録ができる。新記録続行中だろ。不滅の記録を残す。悪い記録は俺に任せろ」
 09年4月11日の西武戦に敗れ、史上初の監督通算1500敗目

 「神様、仏様、田中様。稲尾2世ができたな。神様ありがとう」
 09年4月14日のロッテ戦で先発・田中が2試合連続完投勝利

 「三原、水原、鶴岡は俺の現役時代の大監督。こういう人より上に行っちゃいけない。そういう力は俺にはない。(1586勝の)水原さんの一歩手前まで行くよ」
 09年4月29日の日本ハム戦で史上5人目の監督通算1500勝目。
 「みんな“おとなしい”ね。“おとなし(音なし)”試合だよ。しかし打てんな。現役復帰したくなるよ」
 貧打の楽天打線にボヤキ。

 「人間は何を残すかで評価が決まる。人を残すのが一番。そういう意味では少しは野球界に貢献できたのかなと思う」
 09年10月、楽天監督の退任が決まる。

 「俺が死んだらこんなに集まるかな」
 18年1月25日、虚血性心不全のため85歳で死去した愛妻・沙知代さんの「お別れの会」で。

続きを表示

この記事のフォト

「大谷翔平」特集記事

「野村克也」特集記事

2020年2月11日のニュース