野村克也さん死去 写真で振り返る功績 「月見草」の現役時代 監督、評論家…

[ 2020年2月11日 11:50 ]

日本シリーズを制して頂点に立ち、宙に5度舞うヤクルト・野村克也監督(1997年)
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 元ヤクルト、楽天などの監督で、「ノムさん」の愛称で親しまれた、野村克也(のむら・かつや)氏が亡くなった。84歳だった。京都府出身。野球人生を通してライバルだった王貞治氏、長嶋茂雄氏を華のある「ひまわり」に例え、自らを「ひっそりと咲く月見草」と評した野村氏。昭和、平成時代を駆け抜けた野球人がまた一人旅立った。

 野村氏は1954年、京都・峰山高から南海に入団し、57年に本塁打王のタイトルを獲得。65年に戦後初の三冠王となり、69年オフに選手兼任監督となった。77年に南海の監督を解任され、78年からはロッテ、79年からは西武で現役を続行。80年に引退するまで27年間プレーし続けた。

 評論家を経て、90年からヤクルトの監督に就任。データ重視の「ID野球」で92年にチームを14年ぶりのリーグ優勝に導き、翌93年に日本一。95、97年にも日本一となった。99年から3年間、阪神の監督を務めた後、社会人野球のシダックスで指揮。2006年から楽天監督となり、4年目の09年にリーグ2位でプレーオフに進出。この年でユニホームを脱いだ。その後は再び評論家として活躍した。

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2020年2月11日のニュース