池江 24日出陣 日大水泳部・上野監督がエール「ここから息の長い選手として、まずは決勝進出を」

[ 2021年7月24日 06:10 ]

池江璃花子
Photo By スポニチ

 競泳日本代表の池江璃花子(21=ルネサンス)は24日の女子400メートルリレー予選に登場する。白血病から復帰して挑む2度目の五輪はリレー種目のみの出場。家族や所属のコーチ、スタッフらと一緒に復帰を支えた日大水泳部の上野広治監督(62)が病気の発症から現在までを振り返り、教え子にエールを送った。

 1年前イベントに参加した時を振り返って、本人は五輪出場を「考えられなかった」と話していたが、私も同じ気持ちだった。周りから「最終日の聖火ランナーに」という声も上がっていたし、何か五輪に携わってほしいと願っていたが、まさか選手として出場するとは思っていなかった。本当に夢のようだ。

 病気が分かったのは大学入学前の19年2月。1月半ばの記録会であまりにもタイムが悪くて心配したが、最初は年末の高地合宿の疲れや、プールの環境が十分に整っておらずウオーミングアップができなかったことが影響したのかな程度に思っていた。その後合宿したオーストラリアでも体調はよくならなかった。現地の病院に行ったが、原因は分からず、合宿を切り上げて、1人で帰国させた。朝5時に羽田空港に車で迎えに行き、そのまま病院へ連れて行って検査をすると、その日の夜には白血病だと伝えられた。

 正直、このまま泳がなくなるのではないかと思った。最初、医者には2年間は水に入れないと言われた。大学3年生になって水泳を再開できるかどうかだと。病状は一時、本当に苦しい時があった。我々も面会できなかった。相当きつかったと思う。ただある時から治療がうまくいくようになり、1年生の12月に退院できた。

 翌年の3月に初めてプールに入った。本当に泳いでいいのか、免疫力が落ちているところで菌のいるプールの水に顔をつけていいのか。再発のことも含めて最初は心配だらけで、指導者としても手探りだった。とにかく無理させないことだけを考えていた。そんなところから1年ちょっとで代表に戻ってきた。こんなことがあるのかと思う。元々泳ぎは天才的だが、精神力が強い。神懸かっていると思う。

 プールに戻ってきたばかりの頃、体重は12キロぐらい落ちていたが、「いらないもの、余分な筋肉がなくなった」「ゼロから必要なものをつけていこう」と話していたのが印象に残っている。前向きなのだ。勉強もずっと大学に通えなかったが、1年生の1月からはほぼ毎日来て特別授業を受けていた。2年生の終わりにはほぼ追いついた。

 24年パリ五輪では個人種目で、メダル獲得を目標に掲げている。アジア大会でMVPを獲得した時も事前に宣言していたが、先に言って達成するのは(五輪男子平泳ぎ金メダリストの)北島康介と同じだ。集中力の高さやオンとオフの切り替えのうまさも似ている。ここから息の長い選手として活躍してくれると思う。

 今回はリレーだけの出場だが、初日の400メートルリレーでは日本は8~10番手。まずは決勝に進むこと。決勝になれば、リレーは何が起こるか分からない。日本記録を出して決勝に進み、日本チームに勢いをつけてほしい。(日大水泳部監督)

 ◇上野 広治(うえの・こうじ)1959年(昭34)4月20日生まれ、東京都出身の62歳。日大卒。97年から競泳日本代表の強化に携わり、五輪では00年シドニー、04年アテネでヘッドコーチ、08年北京、12年ロンドンは監督を務めた。日本水泳連盟副会長。日大スポーツ科学部教授。

 【池江の五輪出場まで】
 ▼16年8月 リオデジャネイロ五輪で自由形、バタフライ、リレーの計7種目に出場。100メートルバタフライで5位入賞。
 ▼19年2月12日 白血病を公表。
 ▼4月8日 日大へ入学。
 ▼9月6日 日本学生選手権を観戦。白血病公表後、初めて公の場に現れる。
 ▼12月17日 退院し、24年パリ五輪を目指す意向を表明。
 ▼20年3月17日 406日ぶりにプールに入る。
 ▼7月2日 白血病公表後、初めて報道陣に練習を公開。
 ▼7月23日 東京五輪開幕の1年前セレモニーに出演。
 ▼8月29日 東京都特別水泳大会の50メートル自由形に出場し、594日ぶりにレース復帰。
 ▼21年4月3~10日 日本選手権で50メートル、100メートルの自由形、50メートル、100メートルバタフライの4冠。100メートル自由形と100メートルバタフライでリレー種目の派遣標準記録を突破し、東京五輪出場が内定。

続きを表示

「羽生結弦」特集記事

「テニス」特集記事

2021年7月24日のニュース