自転車ロード増田成幸「こんなに泣き虫だったかな…」奇跡でつかんだ夢舞台を完走

[ 2021年7月24日 20:00 ]

東京五輪第2日 自転車ロード男子 ( 2021年7月24日    武蔵野の森公園~富士スピードウェイ=244キロ )

男子個人ロードレース 観客の応援を受けてゴールへ向かう増田成幸(手前)
Photo By 共同

 何度も苦難を乗り越える姿から、ファンからついた名前は「不死鳥」。増田成幸(宇都宮ブリッツェン)は、初の夢舞台を力いっぱいに疾走した。パレード走行10キロを除く234キロ、獲得標高4865メートルの難関コース。未完走者が多い中、6時間25分16秒の84位で有観客の富士スピードウェイにフィニッシュした。

 そのスタートラインに立つまでに、壮絶な努力があった。不慮の落車による鎖骨や肩甲骨の骨折など故障は数知れず、17年4月に甲状腺ホルモンが過剰に分泌するバセドウ病が発覚。治療に専念した半年間で体重は5キロほど減ったが「神が与えた試練」として勝負の世界に帰ってきた。

 自国開催の東京五輪は、一生に一度。どうしても走りたかったが、さらなる苦境が待っていた。国内を拠点に選考レースのポイントを稼いでいたが、昨年3月から新型コロナウイルス拡大でレースが相次いで中止。五輪1年延期で選考期限も5月から10月17日に延ばされたが、国内の選考対象レースが再開されるとは限らなかった。

 海外では対照的にレースが再開され、海外拠点の選手がポイントを加算。増田は7月に日本スポーツ仲裁機構に選考の不平等を訴えたが、主張は棄却。「ただ黙って見てるしかないのは本当に落ち込んだ。監督やチームメイトの前で“俺、こんなに泣き虫だったかな”というくらい何度も泣いた」。8月には代表圏外の選考レース3位にはじき出された。絶望の淵に立たされたが、決して希望は捨てなかった。

 選考期間ギリギリの10月。宇都宮のスポンサーや地元企業の協力もあり、スペイン・バスク地方のレース「プルエバ・ビリャフランカ・オルディジアコ・クラシカ」への参戦が決まった。ともに参戦する選考ランク2位の中根英登を上回った上で25位以内が絶対条件だった。東京五輪を懸けた最終決戦の舞台だった。

 レース前日、増田は不安と緊張に押しつぶされそうになった。「これで失敗したらどうしようとか“ほら、言わんこっちゃない”と言われるんじゃないかとか。ネガティブな気持ちになった」。同部屋の仲間から「批判や否定をする人たちは当事者じゃないから気にするな」と励まされた。

 就寝前、宿舎のトイレに入ると、偶然、換気のために開けてあった窓から外を見た。雨や曇りの多いバスクの秋、きれいな夜空が広がっていた。増田はしばらく見とれ、気づいた。「この宇宙に比べたら、なんてちっぽけなことで悩んでるんだろう」。不安が一気に消え、やる気がみなぎった。「やってるのは自分たち、アクションを起こしているのは自分たち。一生懸命やってる自分たちに幸せを感じて思う存分やれば良い」。果たして、結果は20位。中根は未完走だった。諦めの悪い男が呼んだ奇跡だった。
 コロナ禍にも負けず、自らの力でつかんだ夢舞台。「一人で走っている中で応援が凄くて力になった。代表に選ばれてから、今年もずっと中止になるんじゃないかという不安があったが、開催してもらってありがたかった」。1都3県にまたがる日本での244キロ。万感の思いで走り抜いた。(大和 弘明)

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