「一九六四年十月十日の朝は静かに明けた――」五輪への期待伝えた「“見てくれ”開会式」

[ 2021年7月24日 05:45 ]

1964年10月10日付1面
Photo By スポニチ

 【PLAY BACK1964 10月10日】57年前の東京五輪はどんな大会だったのか。「一九六四年十月十日の朝は静かに明けた――」。開幕の朝、スポニチはそんな書き出しで始まる原稿と「“見てくれ”開会式」の1面大見出しで、五輪への期待と大島鎌吉日本選手団長の友情秘話を伝えている。

 当時の紙面によれば参加は史上最多の94カ国、約8000人。ただ、来日していた北朝鮮とインドネシアの選手団が直前になって帰国したことを「唯一のシミ」とも表現している。62年のジャカルタ・アジア大会の際、中国に配慮したインドネシアは台湾の参加を拒否してIOCから資格停止処分を受けた。その対抗措置として翌63年に別の国際大会を開催。ほとんどの国が参加を見合わせる中で北朝鮮はトップ選手を送り込み、五輪参加資格をはく奪されていた。

 前日には後楽園球場(現東京ドーム)で盛大に前夜祭も開催され、「ヒョットコ、おかめ踊り」や「はしご乗り」「神輿担ぎ」などが披露されたという。

続きを表示

2021年7月24日のニュース