肥後克広「僕1人で漫談してたかも」 渡辺正行の“逆鱗”で結成したダチョウ倶楽部

[ 2023年2月9日 16:23 ]

肥後克広
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 お笑いユニット「ダチョウ倶楽部」の肥後克広(59)が、7日放送のBS-TBS「X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏」(火曜後11・00)に出演し、ユニット結成秘話を明かした。

 この日は「コント赤信号」渡辺正行が主宰するお笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」の歴史を深く掘り下げた。1986年にお笑いの新星発掘を目指して、東京・渋谷にあるライブハウス「ラ・ママ」でスタート。ウッチャンナンチャンや爆笑問題、バナナマンら多くの人気グループを輩出し、ダチョウ倶楽部結成のきっかけになったイベントでもあった。

 肥後は「ダチョウ倶楽部を作ったのは、ラ・ママがあったからなんです」と告白。ある日、渡辺からお笑いライブを開催すると声を掛けられたものの、「“今度こういうのやるからな”、“分かりました”と言った割にはすぐに忘れてて」と、すっかり失念しまっていたという。

 「キムチ倶楽部」という30人規模のコントグループに在籍していた肥後はある日、「新宿のド真ん中で」渡辺とバッタリ。「“いよいよお前、来週だよ?ラ・ママ”って。“何の話をしてるんだろう?この人”と思って。そしたら怒っちゃって、リーダー(渡辺)が」と振り返った。

 キムチ倶楽部はそのころ、活動実態がなくなっていたという。「“お前は無責任だな。お前1人でもいいから出ろ”と。むっちゃくちゃ怒られて」。出場するために家に電話をかけまくり、つながった上島竜兵さん、寺門ジモン、南部虎弾(現・電撃ネットワーク)とともに出場することになったという。

 客の反響は良かったようで、その後も「ウケたんでやります」と出続けた結果、「それで三十何年」と回想。「一番分かりやすいのが、ラ・ママが(開催して)今年で何年というのが、ダチョウ倶楽部が何年というのと一緒」と、ラ・ママとともに歩んだ歴史を振り返った。

 MCのカズレーザーから「4人集まらなかったら、やってなかったんですか?もし電話がつながらなかったら?」と聞かれると、肥後は「僕1人で漫談してたかもしれない」と想像していた。

 コント赤信号、肥後はともに、昭和の人気コメディアン杉兵助さんの門下生。肥後は「兄弟弟子だから、言うことは聞く」と、渡辺の意向に従ったことを明かしたが、カズレーザーからは「直系の兄弟子の言うこと、何で忘れちゃうんですか?」とツッコミを入れられていた。

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2023年2月9日のニュース