吉田拓郎 デビュー52年目に「考えられない。本当は30歳くらいでやめて帰るつもりだった」と明かす

[ 2022年7月2日 21:27 ]

吉田拓郎
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 シンガー・ソングライターの吉田拓郎(76)が、デザイナーでタレントの篠原ともえ(43)がMCを務める2日放送のTokyo FM「東京プラネタリー☆カフェ」にゲスト出演。歌手生活52年になる吉田だが「本当は30歳くらいでやめて帰るつもりだったの」と語った。

 吉田は70年にデビュー。年内で芸能活動を終了する意向だが「長いな。考えられないです。僕、広島から出てきたんですけど、学生だったんだけど、こんなに長くやっているつもりでもなかった。本当のことを言えば30歳くらいでやめて帰ろうと思っていたの」と明かした。

 当時、吉田ら大学生の間では30歳以上の人と壁ができる傾向があり、吉田も「30になったら若い人から嫌われるなと思っていたんです、先入観で。30までやったら広島帰ろうかなあ、なんて。お袋に30までやったら帰ってくるよって言って広島出てきたのを覚えているんだけど。こんな50何年もいるなんて」と語った。

 また、吉田の楽曲「流星」を作ったきっかけいついても「33歳くらいだった時、あの頃は老成している若者が多くて、年齢のわりに老けたことを言うのがはやっていたんですよ。ある日、原宿の表参道を歩いていたら、女子高生たちがキャアキャア言いながら歩いていたの。それを見て、僕なぜか泣きたくなって…。この子たちと僕の間にどのくらいの距離ができて、僕は彼女たちから見たらどれくらいみにくい男になっちゃったんだろう、どれくらい愛されない大人になっちゃったんだろうって気分になっちゃったの。そのショックが強くて、本当にふと思って、俺あっという間に30過ぎちゃっているし…お袋と約束した30過ぎたら帰るよっていうことも、いつの間にかないがしろになっていて…。このままでいいのかな思って、家に帰って1日を思い出そうと思ったら詞が降りてきた」と話した。

 その思いが「流星」になったのは「星を数える男になっちゃっている、自分が。というのは素敵なことじゃなくて、とてもせつない、悲しい寂しい男になっている。夜空を見上げながら、毎日星を数えている僕っていうのは、僕が20歳の頃東京に出てきた頃思った30歳の吉田拓郎じゃなくなっている」とし、「僕が欲しかったものは何ですか」にすべてつながっている、と説明した。

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2022年7月2日のニュース