感涙の銀!下関国際 部員11人でスタート、初勝利まで3年…全国制覇あと一歩も坂原監督「ありがとう」

[ 2022年8月23日 04:00 ]

第104回全国高校野球選手権第14日・決勝   下関国際1―8仙台育英 ( 2022年8月22日    甲子園 )

<仙台育英・下関国際>涙の山下(右)に笑顔で声をかける下関国際・坂原監督(撮影・北條 貴史) 
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 聖地を熱くした銀メダル――。決勝が行われ、下関国際(山口)は1―8で仙台育英(宮城)に敗れて初優勝を逃した。今夏の躍進の原動力となった古賀康誠、仲井慎(いずれも3年)の継投で挑んだが、強力打線につかまった。それでも準々決勝で大阪桐蔭、準決勝で近江(滋賀)を破るなど、堂々の戦いぶりに惜しみない拍手が送られた。優勝した仙台育英は春夏通じて東北勢初の甲子園制覇を成し遂げた。

 試合後の表彰式。下関国際の坂原秀尚監督は涙を流す選手たちを集め、全員にねぎらいの言葉を掛けた。「覚悟を持って来てくれた子たちなので」。一人一人に「うちに来てくれてありがとう、この舞台に連れてきてくれてありがとう」と感謝の思いを伝えた。

 山口県勢64年ぶりの全国制覇には届かなかった。先発したエース古賀が4回に1点先制を許した。5回に2点を追加され、なおも2死一、二塁のピンチで好リリーフで貢献してきた背番号6の仲井が遊撃からマウンドへ上がった。後続は抑えたが、7回に満塁本塁打を浴びるなど5点を失った。古賀は「優勝旗を持って帰れなくて申し訳ない」と話し、仲井は「抑えていたら逆転のチャンスはあったと思う」と涙した。坂原監督は「仲井は満身創痍(そうい)で投げてくれた。古賀もそうだと思う。決勝にどれだけの体力が残っているか。優勝していく上での課題のひとつ」と話した。

 頂点には立てなかったが、堂々の銀メダルだ。坂原監督が就任した05年8月、部員は11人だった。グラウンドの雑草取り、トイレ掃除から選手に伝えた。当時2年生だった金原寛幸さん(33)は「野球より私生活を大事にしていました。人間として大きくなれという感じでした」と話す。練習試合を含めた試合での初勝利には3年もかかった。部員1人の時代も乗り越えてきた。

 17年夏に甲子園初出場を果たしたが、昨夏は山口大会の初戦で敗退した。昨秋は中国大会の準々決勝で広陵に0―3で敗れ、選抜出場を逃した。下関に戻って約5時間のミーティングを行い、意見を出し合った。朝練習を廃止するなどチーム改革を断行。古賀は「ずっと悔しかったので冬場も頑張れた。それが準優勝につながったと思います」と話した。

 準々決勝で選抜優勝の大阪桐蔭、準決勝で同準優勝の近江を撃破した戦いぶりは聖地に確かに刻まれた。古賀は「日本一を獲ってほしい」と後輩たちに思いを託した。 (杉浦 友樹)

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