【内田雅也の追球】「夏」を追いかけて 藤浪登場に沸くなか、ベンチに下がった北條 阪神に望む熱い戦い

[ 2020年10月12日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神4-3DeNA ( 2020年10月11日    甲子園 )

<神・D(20)>5回無死、北條は四球を選ぶ(投手・上茶谷)(撮影・坂田 高浩)
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 今やお決まりとなった藤浪晋太郎登場時の大歓声が甲子園に響いた時、北條史也はベンチにいた。8回表、藤浪を告げた阪神監督・矢野燿大は二塁手を植田海に代えた。彼は遊撃が本職、守備固めとして当然の策だ。

 ただ、不完全燃焼だった。1回裏は2番として無死一塁で走者を進められなかった。2回裏は目の前で敬遠があった2死満塁で空振り三振を喫した。前日10日も満塁機に凡打、送りバント失敗、守備でも失策。反骨心豊かな彼のことだ。汚名返上にかけた試合で、悔しさは相当だったろう。

 北條と藤浪は言わずと知れた同期生である。2012年、光星学院(現八戸学院光星)高の主砲と大阪桐蔭高のエースとして、春も夏も甲子園大会決勝で戦った。あれから8年。2人は阪神で苦楽をともにしている。あの「夏」の輝きを取り戻してほしいと願う。

 この日10月11日は47年前、1973(昭和48)年、巨人―阪神戦(後楽園)で10―10引き分けという激闘があった。伝統の一戦を戦う両チームでプロ野球史上初めて、ともにシーズン最終戦、勝った方が優勝の決戦があった年である。

 阪神は決戦に敗れ、巨人V9は成る。7―0リードで勝てなかった10月11日を山際淳司は<展開が狂いはじめるのがこの試合>とした。著書『最後の夏 一九七三年巨人・阪神戦放浪記』(マガジンハウス)にある。雑誌『鳩よ!』1993年12月号―94年9月号まで連載していた当時の題名も『流転の夏』だった。

 タイトルの「夏」にはむろん意味がある。優勝を逃すと、阪神4番打者・田淵幸一に<夏の終わり>が訪れている。

 作家・山口洋子の『叱られて』=『飛行機』(光文社)所収=にプロ野球選手しか愛せない女性が出てくる。理由を、春や秋ではなく「はっきり夏の旬がある」と言う。「その夏をバカみたいに息を切らせて追いかけてる姿が好きなのよ」。東京・銀座の高級クラブ経営者として選手と交流が深かった山口の実感だろうか。アメリカでは野球選手を俗に「ボーイズ・オブ・サマー」(夏の少年たち)と呼ぶ。

 北條は下を向く選手ではない。ベンチに控えていてもよく声を出し、チームを鼓舞する。5回表先頭の四球は後の大山悠輔本塁打が逆転2ランとなる貴重な出塁だったではないか。1ボール2ストライクからの3球を見極めた。打率1割台と沈む彼も前を向いてやっている。

 試合は先発・秋山拓巳がソロ3発を浴びながら3併殺を奪うなど6回途中まで持ちこたえ、救援4投手は1人の走者も許さずに逃げ切った。

 逆転決勝の25号2ランを放った大山は守備も光っていた。投手が弾いた打球を素早く拾って刺し(4回表)、ボテボテの当たりをランニングスローで刺した(9回表)。また、ジャスティン・ボーアの3―6―3併殺(5回表)も見事だった。

 投手を含めた守りの野球は本来、阪神が目指すべき姿である。

 夕暮れ時、甲子園は1点差勝利に沸いた。季節はもう二十四節気の寒露(かんろ)で、秋風が吹くが、いつまでも「夏」を追いかける選手たち、チームでありたい。=敬称略=(編集委員)

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