最高の涙 大橋悠依 400M個人メドレーで日本勢初の金メダル 同じ平井門下生・萩野流で逃げ切る

[ 2021年7月26日 05:30 ]

東京五輪第3日 競泳女子400メートル個人メドレー決勝 ( 2021年7月25日    東京アクアティクスセンター )

<東京五輪 競泳 女子400メートル個人メドレー決勝>金メダルを獲得し、ガッツポーズの大橋悠依(撮影・北條 貴史)
Photo By スポニチ

 競泳の女子400メートル個人メドレー決勝で、大橋悠依(25=イトマン東進)が4分32秒08で優勝し、この種目で日本勢初の金メダルを手にした。16年リオデジャネイロ五輪男子400メートル個人メドレー覇者・萩野公介(26=ブリヂストン)の5年前の決勝レースと同じ300~350メートルで勝負を懸ける戦略を実践。最後の自由形で追いすがる米国勢を振り切り、競泳ニッポンに今大会初メダルをもたらした。

 期待を裏切らず、大橋が泣いた。プールサイドから上がり涙を拭うと、表彰台でも涙。取材エリアでも、メダリスト会見でも声を詰まらせた。「うれしい気持ちと、不思議な気持ち。ダメダメな時期もあって、この2年間は、ほぼメダルを諦めていた。自分でもよくやったと思う」。うれし涙や、悔し泣き。過去にも事あるごとに涙腺が崩壊してきたが、自国開催の五輪で最高の涙が頬を伝った。

 5年間、レースプランを温めてきた。序盤から先頭争いを演じ、第3泳法の平泳ぎでトップに浮上。2位に約2秒差で、メダルを争う米国勢が得意とする最後の自由形に突入した。「追いついてきたと思わせると相手が元気になる」とガス欠覚悟で300~350メートルで加速。この50メートルのタイムは米国勢をわずかに上回った。ラスト50メートルで猛追を受けたが「最後は気合」で逃げ切り。同じ平井伯昌コーチ(58)に師事する1年先輩の萩野が16年リオ五輪で男子400メートル個人メドレーを制した決勝レースと同じ戦略だった。

 13年9月に東京が開催地に決まった時は高校3年。中、高校時代に目立った成績はなく「ボランティアやトレーナーなど何らかの形で関わりたい」と考えていた。東洋大進学後も左膝脱臼や重度の貧血に悩み、15年日本選手権の200メートル個人メドレーは最下位の40位。引退して公務員になることを考えたが、投薬治療や食生活改善で貧血を克服すると、飛躍的に記録が伸びた。17年に初めて代表入りし、世界選手権の200メートル個人メドレーで銀。日本女子のエース格となった。

 本番を想定した6月下旬のレースで記録が低迷。心が折れ、平井コーチに「五輪に出たくない」と漏らした。400メートル個人メドレーを諦め、200メートル個人メドレー一本に絞るか悩んだが「メダルの可能性は4個メの方が高い」と出場を決断。開幕直前に信頼を置くトレーナーによる体のメンテナンスを受けると、調子が一気に上がった。「自分が金メダルを獲れるなんて全然、思っていなかった」。激しいアップダウンを乗り越え、黄金のゴールにタッチした。 

 【大橋 悠依(おおはし・ゆい)】
 ☆生まれとサイズ 1995年(平7)10月18日生まれ、滋賀県出身の25歳。3姉妹の末っ子。1メートル74、57キロ。陸上の桐生祥秀と同郷で同い年で、中学時代から顔見知り。

 ☆競技歴 2人の姉の影響で6歳から水泳を始める。中学3年時にジュニア五輪の200メートル個人メドレーで優勝。草津東高から東洋大に進学し、平井コーチに師事する。17年世界選手権200メートル個人メドレーで銀。19年世界選手権は400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得した。

 ☆嵐 大ファンで、特に大野智が好き。19年8月には「嵐にしやがれ」にゲスト出演し、念願の共演を果たした。

 ☆験担ぎ 地元・彦根市のマスコット「ひこにゃん」をこよなく愛する。大切な日は験担ぎとしてひこにゃんの靴下をはき、この日もレース直前まではいていた。

続きを表示

この記事のフォト

2021年7月26日のニュース