鬼ヤバい!スゲぇ!!22歳堀米が初代王者 「一番、心に残る」夏空広がる地元の“晴れ舞台”で魅せた

[ 2021年7月26日 05:30 ]

東京五輪第3日 スケートボード男子ストリート ( 2021年7月25日    有明アーバンスポーツパーク )

<スケートボード男子ストリート>優勝を果たし金メダルを手にする堀米(撮影・会津 智海)
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 男子ストリートは世界ランキング2位の堀米雄斗(22=XFLAG)が37・18点で新競技の金メダル1号となった。決勝では一発技を競うベストトリックで高得点の9点台を4回そろえ、絶対王者ナイジャ・ヒューストン(26=米国)ら名だたるスケーターを下して初代王者に君臨。競技会場の江東区で生まれ育ち、本場・米国に渡って腕を磨いた22歳の日本人が、世界に揺るぎない強さを示した。

 およそ15年前、江東区の大島小松川公園でスケートボードを始めた少年は、本場・米国でも認められたプロとなって帰ってきた。そして、五輪初代王者という本人すら想像していなかった景色を前に「いまだに五輪に出ている自分が信じられない」とつぶやいた。

 2回のランこそミスが続いたが、ベストトリックからが真骨頂だった。得意とするノーリー系の技がはまり、3回目で9・35点。4回目は「ノーリー・バックサイド270ノーズスライド」を決めて全選手最高の9・50点をマークすると、普段感情を出さない22歳が珍しく右手でガッツポーズした。最後に4度目となる9点台を叩き出して日本代表の早川コーチの元に駆けだし、「凄くうれしい。江東区の五輪は自分の中で凄く意味のある大会。一番、心に残る」と喜びをかみしめた。

 堀米の代名詞とも言える「ノーリー・バックサイド270」の応用技の原点は、父・亮太さん(46)と幼少期に見た90年代のトッププロのビデオ映像にある。アニメを見るかのように夢中になった映像の中で、目に焼き付いたレジェンド、ジーノ・イアヌッチの技。亮太さんは「雄斗は10年、20年放置された技を復活させ、縁石でしかできなかったものを自分の色としてレールに取り入れている。だからこそ、見る人が見ると面白い」と明かす。温故知新の技が、勝利の決め手になった。

 高校卒業後の17年に単身渡米してから人生は変わった。小学生から「米国でプロになって大きな家を建てる」と公言した少年は18年に最高峰の大会のストリートリーグを制し、昨秋にその夢を実現。当初は言葉の壁に苦しみ、パークに移動するすべすら持たず自分のタイミングで練習もできなかった。それでも「スケボーをやっている時だけは唯一、他のスケーターと仲良くできた」。スケートボードで会話する時間が堀米を支え、強くした。

 堀米はスケートボードの魅力を「終わりがないところ」と語っていた。この日、すぐに次の夢を描いた。「これから日本のスケートシーンを、いろんな人が見てくれる。楽しさや奥深さを伝えていきたい」。22歳の夢は、尽きることがない。

 【堀米 雄斗(ほりごめ・ゆうと)】☆生まれとサイズ 1999年(平11)1月7日生まれ、東京都江東区出身の22歳。1メートル70、60キロ。

 ☆競技歴 父・亮太さんの影響で6歳からスケートボードを始める。小学校ではハーフパイプ(バーチカルランプ)を使うバーチカルを中心に取り組み、父いわく「9歳で(1回転半技の)マックツイストを成功させた」。パーク代表の平野歩夢とも競っていた。

 ☆実績 18年のストリートリーグ(SLS)でアジア人としての初優勝を含む3戦3勝。19年五輪予選2勝、世界選手権は19年2位、21年優勝。

 ☆豪邸購入 幼少期からの夢は「米国でプロになって大きな家を建てること」。高校卒業後に渡米し、20年秋に米ロサンゼルスでパーク付きの4LDKの豪邸を購入。

 ☆日本愛 自身の名前を冠したプロモデルデッキは富士山や日本食のイラストなど母国愛が強い。五輪は富士山と桜が描かれたデッキで滑った。好きな日本食は寿司。

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