【重量挙げ】星奈津美さん 戦い抜いた三宅宏実の覚悟と「1年延期」の重さ

[ 2021年7月26日 09:00 ]

6回の試技を終え、万感のも想いを込めて手を挙げる三宅宏実(撮影・北條 貴史)
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 【メダリストは見た 星奈津美さん】重量挙げ女子49キロ級の三宅宏実(35=いちご)の5度目の五輪は記録なしに終わった。12年ロンドンで銀、16年リオデジャネイロで銅と五輪で2つのメダルを獲得した第一人者は引退を表明した。競泳女子200メートルバタフライ2大会連続銅メダリスト星奈津美さん(30)は親交のある三宅の最後の試技をテレビで見守り、ベテラン選手にとっての「1年延期」の意味の重さに思いをめぐらせた。

 残念な結果だったかもしれませんが、本当に素敵な五輪でした。印象的だったのは試技で失敗した時、悔しさよりも少し笑顔のようなものが見えたことです。やりきった、ここまでやってきてよかった、という思いが表情から伝わってきました。

 お父さんの義行さんが「よく頑張った」と称える姿もジーンときて、涙が出ました。三宅さんの「最後にメダルをかけてあげたかった」という言葉からは、お父さんへの感謝の気持ちが伝わってきました。私も五輪のような大きな舞台に立つと、家族やコーチの支えがあったからここまでこられたという感謝の思いがこみ上げてきましたが、三宅さんの場合、最も近くで支えてくれた家族でありコーチであるお父さんへの思いは特別なものがあったと思います。

 私には父がコーチという経験はありません。ただ、練習場から家に帰ってもずっと一緒にいるとなると、難しいこともたくさんあっただろうなと想像します。でも信頼できるお父さんなしではここまでの結果は残せなかっただろうし、ここまで競技を続けることもできなかったと思います。その関係性をなんだかうらやましく思うところもありました。

 35歳で5度の五輪出場は本当に偉業だと思います。私が現役の時、ナショナルトレーニングセンター(NTC)で会うといつも膝などにテーピングを巻いていました。リハビリ室で会うことも多かった。いつも満身創痍(そうい)だった印象です。私はケガや故障は少なかったのですが、大学を卒業して社会人になった頃から疲労が取れづらいと感じるようになりました。若い頃は一晩眠れば、体はラクになったのに、寝たのに疲れが増すこともありました。自分が35歳で競技するなんて想像がつきません。

 私はリオデジャネイロ五輪が終わって26歳で引退しました。次の五輪が東京開催ということで正直なところ迷いはありました。ただ東京五輪では30歳で競泳ではかなりのベテランになる。もうあと4年とは考えられなかった。やりきったと思えたので、悔いなくやめることができました。

 三宅さんは東京開催だから現役を続けたと聞きました。ただこの延期の1年はどんな思いで競技に取り組んできたのでしょうか。選手は「この1年をプラスに考える」と言うしかなかったと思います。若い選手なら言葉通り、強化する時間が増えたとプラスにとらえることができたと思います。しかし、ベテラン選手にとっては衰えていく肉体との戦いで、維持するだけでも大変だったと思います。中には延期によって、引退を決断したベテラン選手もいました。難しい時間だったと思います。それでも三宅さんが続けてこられたのは純粋に競技への思いもあったと思いますし、重量挙げという競技をずっと引っ張ってきた使命感のようなものもあったのかもしれません。覚悟があったんだなと思います。そんな三宅さんが東京五輪の舞台で戦う姿を見て、感動したり、勇気をもらったという声を多く聞きました。五輪は結果だけじゃない、結果がすべてではないということをあらためて感じました。

 三宅さんは5歳年上ですが、同じ埼玉県出身で、県の壮行会などでよく一緒になりました。最後に会ったのは3年前のトークイベントですが、「元気してた?」と気にかけてくれました。普段の三宅さんは凄く可愛らしい方です。NTCの大浴場で一緒になった時、重量挙げの選手たちと恋バナで盛り上がっているのを見たこともあります。これからの第二の人生も楽しんでほしいなと思います。

 実は一つ悔やんでいることがあります。リオ五輪の後、三宅さんに「(レスリングの)吉田沙保里さんと(柔道の)杉本美香さんと一緒にディズニーランドに行くから、来ない?」と誘われたことがあったのですが、スケジュールが埋まっていて、行けませんでした。そのメンバーと一緒なら、絶対楽しかったと思います。今度はぜひ一緒に行きたいです。三宅さん、本当にお疲れさまでした。

 ◇星 奈津美(ほし・なつみ)1990年(平2)8月21日生まれ、埼玉県出身の30歳。春日部共栄―早大。1歳半からベビースイミング教室に通い、水泳を始める。高校では1、2年でインターハイ連覇。3年生だった08年には高校新記録を出し、北京五輪に出場。12年ロンドン五輪、16年リオ五輪では200メートルバタフライで2大会連続の銅メダルを獲得。16歳の時にはバセドー病を患い、一時は競技から離れるも、苦難を乗り越え復帰した。

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2021年7月26日のニュース