振付師、真島茂樹さん急死 マツケンサンバⅡ生みの親 オネエキヤラでも人気 前日まで講演も…

[ 2024年5月24日 04:45 ]

真島茂樹さん
Photo By スポニチ

 俳優松平健(70)のヒット曲「マツケンサンバⅡ」などの振り付けで知られる振付師でダンサーの真島茂樹(まじま・しげき)さんが22日午後10時38分、虚血性心不全のため死去した。77歳。宇都宮市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。後日お別れの会を開く予定。

 真島さんは一人暮らしで22日、自宅で倒れているところを訪問した友人に発見された。救急搬送され、病院で死亡が確認された。前日も栃木県内で講演の仕事をしており、関係者は「いつも通り元気でした」と説明。かつて不整脈があり、定期的に通院していた。

 搬送の連絡を受けた松平は病院に駆けつけ、真島さんの親族とともに涙ながらに別れを告げた。23日、コメントを発表し「あまりに突然のことでいまだ信じがたい思いです」と心境を吐露。古くからの付き合いで「踊りを愛し生涯ダンサーを貫き通したマジ(真島さん)を尊敬し称賛します。一緒に仕事をすれば周りに気を配り、いったん振り付けとなるとプロフェッショナルな厳しい指導、終われば明るく元気な優しい人柄でした」としのんだ。

 真島さんは高校卒業後の1972年に日劇ダンシングチームに入団。ミュージカルなどの舞台で活躍した。一躍注目を集めるきっかけになったのが「マツケンサンバⅡ」の大ヒット。94年から松平が自身の公演で歌い踊っていた曲で「日劇風に好きなように踊りをつくってほしい」と依頼を受けた。97年から真島さんの振り付けになり、当初は舞台だけで披露されていたが、松平がスパンコールの着物で腰を振って踊る姿が口コミで広まり、04年にCD化され大ヒット。真島さんも「腰元ダンサーズ」の一員として花を添え、同年のNHK紅白歌合戦に出演した。

 令和に入ってYouTubeなどで人気再燃した同曲は、21年の紅白でも特別企画で披露され、この時も真島さんは出演。明るいキャラクターと「マジー」の愛称で親しまれ、バラエティー番組では“オネエキャラ”で人気を博した。

 25日には京都府で「マツケンサンバコンサート」(文化パルク城陽)が開催される。真島さんも出演予定だったため、一部構成を変更する。松平は「マジと長年苦楽を共にしてつくった作品をこれからも皆さんに楽しんでいただけるよう、私も歌って踊り続けたい」と誓った。

 真島 茂樹(まじま・しげき)1947年(昭22)3月22日生まれ、宇都宮市出身。日劇のトップダンサーとして活躍も81年に閉館。東京ディズニーランドのダンサーなどを経て、ミュージカル「シカゴ」「キャバレー」「屋根の上のバイオリン弾き」などに出演。NHK紅白歌合戦では05年と07年に美川憲一の振り付けを担当し、出演もした。「ドラえもん音頭」や映画「プリキュアオールスターズ」の振り付けも担当した。

 ▽マツケンサンバ 松平が舞台公演で歌い踊る曲の代表作。最初は84年の「松健音頭」。その後「マツケンマンボ」「マツケンロック」「マツケンサンバⅠ」と、テンポ良く派手なものに進化した。

 ▼虚血性心不全 心筋梗塞や狭心症を虚血性心疾患といい、それにより心不全となる。動脈硬化や血栓で心臓の血管が狭くなり、心臓のポンプ機能が低下。体に送り出される血液量が少なくなる状態。呼吸困難になり最悪の場合は死に至る。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「STARTO ENTERTAINMENT」特集記事

2024年5月24日のニュース