勝利より「自分の仕事」にプライド 13年サイ・ヤング賞記者投票3位

[ 2020年10月20日 05:30 ]

岩隈引退 歴代担当記者フリートーク

15年、オリオールズ戦でノーヒットノーランを達成し、チームメートと抱き合って喜ぶ岩隈(AP)
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 【記者フリートーク MLB担当・奥田秀樹通信員】マリナーズ2年目、13年の岩隈は凄かった。勝ち星は14勝ながら、先発試合数(33)、イニング数(219回2/3)、防御率(2・66)で、同年21勝でサイ・ヤング賞に輝いたシャーザーを上回った。選手の勝利への貢献度を総合的に数値化し、新たな指標として注目されていたWARは1位。サイ・ヤング賞の記者投票では堂々の3位に入った。

 そのオフ、日本に帰国していた岩隈からこんなメールをもらった。「こっちでは“来年は20勝してください”とよく言われます。勝つことは大事ですが、自分の仕事を果たした点で評価されたい。日本人の意識が変わればと思いました」。メジャーに挑戦する際、日本では「体力的に中4日は無理」と決めつける人もいたが、見事に払しょくした。この年、メジャーでトップクラスの先発投手として認められたことを一番喜んでいた。

 《12年~18年 マリナーズでノーノ―、日本人2人目》ど派手なガッツポーズを披露した岩隈はすぐに歓喜の輪にのみ込まれた。マリナーズ4年目の15年8月12日。本拠地でのオリオールズ戦でノーヒットノーランを達成した。日本選手では01年の野茂以来2人目(3度目)、14年ぶりの快挙だった。

 9回2死、パーラ(現巨人)への116球目、この日最速タイの92マイル(約148キロ)で中飛に。「(最後は)一番燃えた気がします。言葉が出ない。本当にうれしいという気持ちしかない」。珍しく感情をあらわにした。

 12年に海外FA権を行使してマ軍移籍。1年契約、年俸は楽天時代の3億円から大幅減の150万ドル(当時約1億1550万円)、さらに中継ぎからのスタートだったが、7月に先発ローテーションに定着した。2年目の13年は球宴に初選出され、14勝6敗、防御率2.66。チームメートやファンから「クマ」の愛称で親しまれた。スプリットやツーシームでゴロを打たせる典型的「グラウンドボール・ピッチャー」として名をはせ、マ軍在籍7年間で通算63勝を挙げた。

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