09年のWBC決勝 岩隈の自宅で家族と見届けた世界一

[ 2020年10月20日 05:30 ]

岩隈引退 歴代担当記者フリートーク

09年、史上5人目の監督1500勝を達成した野村監督(右)に花束を渡す岩隈
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 【記者フリートーク 07~09年楽天担当・春川 英樹】09年3月24日は忘れない。第2回WBC決勝の日。当時、楽天担当だった記者は仙台市内の岩隈の自宅にいた。

 まどか夫人と子供たちは、笑顔で取材に応じてくれた。留守にしていた大黒柱は決勝の韓国戦で先発し、8回途中2失点で世界一に貢献。パパの活躍にニコニコだった子供たちも、毎年、律義に届く年賀状で立派に成長した姿になっている。岩隈のモットーは「楽しむこと」。あの重圧のかかった決勝の日の朝も、関係者に平然と「これからビバリーヒルズに行きませんか?」と言ったという。岩隈と接して一番、メンタルの強さを感じたエピソードだった。

 印象に残っていることはもう一つ。ボールをリリースする時の音だ。「ピシッ」ではなく乾いた木を叩くような「カッ」という音。同じ音を聞いたのは巨人・上原と2人だけ。質のいい直球の共通点だった。

 《05年~11年 新設楽天始まりの1勝》半世紀ぶりに球界に参入した楽天の開幕戦は05年3月26日のロッテ戦。岩隈が1失点完投で最高の船出を決めた。各球団を戦力外となったリストラ戦士らの援護もあり「ただの1勝と違う。粘って粘って。野手の人に助けられた」と感謝した。

 在籍した11年までの7年間で6度の開幕投手を務め、仙台では「フィーバー」も起こった。端正な顔立ちから、中高年女性の間で「(韓国俳優の)ヨン様より可愛い」といった声も。50年ぶりに新設された球団を地元に根付かせる役割を担った。08年は自己最多の21勝(4敗)、防御率1.87、勝率.840で投手3冠に輝き、MVP、ベストナイン、沢村賞などタイトルを総なめにした。

 東日本大震災で18日遅れとなった11年4月12日の開幕戦は5年連続の大役で9回途中4失点の力投。「東北で戦っている皆さんも含め、みんなで戦った勝利」と両目を涙で光らせた。この日は自身の30歳の誕生日でもあった。同年オフに海外FA権を行使し、戦いの舞台を米国に移した。

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