巨人・岩隈久志が現役引退 「感謝の手記」独占公開 日米170勝“世界一右腕”39歳の決断

[ 2020年10月20日 05:30 ]

3人の子どもたち(左から)大志くん、凛心ちゃん、羽音さんから花束を受け取り笑顔を見せる岩隈 
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 巨人は19日、岩隈久志投手(39)が今季限りで現役を引退すると発表した。23日に東京ドームで会見を行う予定。日米通算170勝を挙げるなど輝かしい実績を残したが、17年9月に右肩を手術した影響もあり、巨人では今季までの2年間で1軍登板はなかった。プロ21年の現役生活に別れを告げる右腕は苦しい時も支えてくれた家族、声援で背中を押してくれたファンへの感謝の思いを独占手記としてスポニチ本紙に寄せた。

 現役引退を決めた今、改めて思うことは「感謝」。この一言に尽きます。多くの方に出会い、支えられ、21年も現役生活を送ることができました。ファンの皆さんの力強い声援も背中を押してくれました。本当にありがとうございました。

 一度だけ弱音を吐きました。メジャー1年目の2012年の5月だったと思います。遠征先のカンザスシティーから妻(まどか夫人)に電話をかけ「(米国で野球を続けるのは)無理かも」と伝えました。ストライクゾーンのズレ、予想以上のボールの違いにも戸惑い、初めて自信を失っていました。そんな時、シアトルの自宅にいた妻に「何のためにアメリカまで挑戦しに来たのか、もう一回考えようよ。やれないわけがないよ」と励まされました。この一言で、我に返ることができました。

 挑戦しているのは僕だけじゃない。子供たちは全く英語が理解できないのに、元気に現地の学校に通い、妻も電子辞書を片手に子供たちの宿題をサポートしてくれたり、不慣れな米国で車の運転もしてくれました。日本から遠く離れた異国でも「一人じゃない」と思えたこと。それがメジャーでの成績につながったと思います。

 日本では05年と11年に、心に残る特別な試合があります。どちらも開幕投手でした。05年は3月26日のロッテ戦。新球団として参入した楽天の記念すべき公式戦1試合目です。当時の僕らは「寄せ集め」と揶揄(やゆ)されましたが、そこは気にならなかった。それよりも新しいチームの初の試合として記録に残るから何としても勝ちたかった。結果は1失点の完投勝利で飾れました。

 11年は3月11日に東日本大震災が発生。チームの本拠地があった仙台をはじめ、東北を中心に信じられない惨状となっていました。開幕が18日後に延期され、正直に言えば「野球をやっていていいのだろうか?」という思いも少なからずありました。でも、決まった以上、プロとしてやることは一つ。勝って、東北に少しでも勇気や希望を届けることでした。9回途中4失点と粘り、何とか白星を届けることができました。この時は喜び以上に、心からホッとしたことを覚えています。

 一つだけ悔いが残るのは巨人での2年間で1軍での登板がなかったこと。獲得の連絡を頂いた18年オフは右肩手術からリハビリの最中で先が見えない不安もありました。そんな僕に巨人が、原監督がチャンスをくれました。原監督とは09年のWBCでも一緒に戦わせてもらいましたが、また同じユニホームを着られるだけで幸せでした。入団後は「恩返し」をテーマにやってきましたが、実現できず申し訳ありません。ただ、期待されていた一つである後輩へのアドバイスは惜しみなく、精いっぱいやったつもりです。少しでも、チームに、原監督に貢献できていたらうれしいです。

 数日前、東京ドームで原監督に引退することを伝えました。その帰りに家族を迎えに行き、車の中で家族にも初めて引退を伝えました。妻は「お疲れさま。ここまでできて、周りの人に感謝だね。長い間、頑張ってくれてありがとう!」と言ってくれました。今まで僕の野球人生に携わってくれた全ての人に「感謝」します。今後のことはまだ分かりませんが、大好きな野球に携わることができればうれしいと思っています。 (読売巨人軍投手)

 ◆岩隈 久志(いわくま・ひさし)1981年(昭56)4月12日生まれ、東京都出身の39歳。堀越から99年ドラフト5位で近鉄入団。04年に15勝で最多勝。05年から創設1年目の楽天に所属し、08年に21勝4敗、防御率1.87。最多勝、最優秀防御率、最高勝率に加え、パ・リーグMVP、沢村賞に輝いた。12年に海外FA権を行使してマリナーズ移籍。15年には日本人メジャーリーガーでは2人目のノーヒットノーランを達成した。17年9月に右肩手術を受け、18年はマイナー契約。19年に巨人に移籍し、日本球界に復帰した。1メートル90、95キロ。右投げ右打ち。

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