梨田監督が才能見出した細身の少年 “猛牛”最後の優勝にも貢献

[ 2020年10月20日 05:30 ]

岩隈引退 歴代担当記者フリートーク

04年、開幕12連勝を記録した岩隈
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 【99~02年近鉄担当・中澤 智晴】確かに岩隈にはプロ入り当時から“光るもの”があった。思い出すのは00年1月、藤井寺球場での新人合同自主トレ。極寒の中で新入団選手の動きを視察した当時の梨田監督が一番に名前を挙げ「投げ方がいいね。若い頃の吉井(理人・現ロッテコーチ)みたい」と評したのが高卒でドラフト5位の岩隈だった。

 当時はガリガリで顔も幼く、私は出てくるまで時間がかかると思っていた。だが、右腕は2年目の01年にブレーク。終盤には先発の一角として近鉄最後の優勝に大貢献した。指揮官の眼力は本物だった。

 ところで私が見た光るものとは、自主トレ後に凍えながら取材に応じた18歳の透明な鼻水。あの少年が立派に成長し、故障とも闘いながら球界を代表する投手になった。また一人、猛牛戦士が去るのは寂しいが、心からお疲れさまと言いたい。

 《00年~04年 合併近鉄最後のエース》近鉄がオリックスとの合併問題で揺れた04年。岩隈はファンの希望の光だった。「僕らは野球をするしかない。連勝はいけるところまでいく」と当時のプロ野球新記録の開幕投手から12連勝。合併が正式に決まっても選手配分の具体案も決まらない中、今季の巨人・菅野(開幕投手から13連勝)まで16年間破られなかった大記録を樹立した。

 99年ドラフト5位で堀越から入団。初登板初勝利は2年目の01年5月29日の日本ハム戦だ。8回途中から8番手で登板し9回1死から小笠原に同点ソロを被弾。延長の末に打線の援護で勝利投手となった。翌02年からローテーションに定着し、03年はリーグトップ11完投。そして04年は皮肉にも翌年以降に破られることのない球団記録を次々と更新し15勝で最多勝も獲得。「大阪を離れるのは寂しい」とファンに別れを告げ、楽天に移籍した。

 ちなみに引退が発表されたこの日はくしくも近鉄が88年にロッテとのダブルヘッダーの末に優勝を逃した伝説の「10・19」だった。

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