2月に引退を覚悟 巨人・岩隈はスポニチ本紙記者に激白していた

[ 2020年10月19日 13:50 ]

ジャイアンツ球場でマウンド手前から打者に投げ込む巨人・岩隈
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 「もし、今年もダメだったら引退する。2年間もチャンスをもらえたわけだから。これ以上、球団に迷惑はかけられないよ。がむしゃらにやるのもいいし、そういう人を否定するつもりはないけど、自分は引き際も大事だと思ってる」。

 今年2月の宮崎春季キャンプ中だった。休養日の夜に、巨人・岩隈と宮崎市内の焼き肉屋に出かけた。ファームでリハビリに取り組む右腕にコンディションを尋ねると、冒頭の言葉が返ってきた。驚き、そして戸惑った。網の上で焼けている宮崎牛を裏返そうとしていた私の手は止まった。恐る恐る向かいに座る岩隈の顔を見上げると、驚くほど、穏やかに笑っていた。

 「そっかぁ…」。言葉が続かなかった私を気遣うように、岩隈はさらに言った。「一昨年のオフにさ。これからどうなるのかなと思っているときに巨人が、原監督がオファーをくれた。めちゃくちゃ感謝してる」。17年9月に右肩を手術し、18年の9月には米メジャー・マリナーズを退団した。8年ぶりの国内復帰を含め、移籍先を探していたが、手術の影響から先行きは不透明だった。

 岩隈と原監督との出会いは、09年の第2回WBC大会までさかのぼる。日本代表に選出され、原監督の下で初めてプレーした。松坂、ダルビッシュとともに「先発三本柱」を結成。決勝の韓国戦マウンドも託され、7回2/3を2失点の快投で応えた。大会を通じ、防御率1・35と圧巻の安定感で日本の2連覇に大きく貢献。18年オフに開かれた岩隈の入団会見で原監督が満面の笑みを浮かべ、横に座る岩隈を「クマさん」と呼んだように、2人の深い信頼関係はこのときから築かれていた。

 引退発表前に、岩隈から引退の意向を告げられた。相手は日米通算170勝のレジェンド投手。失礼を承知で「後悔はない?」と問うと、少し間を空け「手術してブランクがあったのに獲得に動いてくれた巨人と原監督に、申し訳ないと思ってる。結局、何もできなかったからね」と明かしてくれた。加入後から何度も口にしてきた「恩返し」という言葉。それを東京ドームのマウンドで形にすることはできなかったが、黙々とリハビリに励み、若手にも積極的に助言を送る姿勢は、チーム、そして原監督にも届いていただろう。

 ブルペン投球までステップを進めると、患部やその周辺に違和感が出てしまう。その繰り返しだった。2年間の在籍で、巨人での1軍登板はかなわなかった。ここが、岩隈の考える引き際だった。(川手 達矢)

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