空手形女子・清水 悔し涙の銀 五輪競技実施は最初で最後の可能性も「また演武を世界の人に見せたい」

[ 2021年8月6日 05:30 ]

東京五輪第14日 空手形女子決勝   清水希容27・88―28・06サンチェス ( 2021年8月5日    日本武道館 )

演武をする清水希容(撮影・小海途 良幹)
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 競技が始まり3種目が行われ、形女子の清水希容(27=ミキハウス)は決勝でサンドラ・サンチェス(39=スペイン)に敗れて銀メダルだった。空手は24年パリ五輪での実施が見送られており、最初で最後になる可能性もある大舞台で悲願の頂点を逃した。

 キリッとした表情はコートを下りるまで崩さなかった。宿敵サンチェスと握手をした際には笑顔すら見せた。だがフラッシュインタビューで「ここまで来るのに…」と話し始めると、さまざまな思い出がフラッシュバックした。「凄くしんどかったので、ここで勝ちたかった。悔しい」。世界中の空手家が夢見た舞台で頂点に立てず、自然と涙があふれた。

 サンチェスは18年世界選手権で3連覇を阻止されたライバル。近年は分が悪い相手と、糸東(しとう)流最高の形とされる「チャタンヤラクーサンクー」を打ち合った。全体の7割を占める技術点は19・60点で同点。しかし「入りは落ち着いていたが、苦手な部分で呼吸が合わず焦った」と、持てる力を発揮できず。競技点で0・18点の差が付き「自分が納得できる演武をできなかったと思った時点で負けた」と話した。

 1学年上の兄の影響で、小3で空手を始めた。それまでは「瓦を割って殴り合う、危ないイメージ」で、形そのものを知らなかった。だが初めて見た時に「奇麗で格好良かった」と心をつかまれた。高2まで全国タイトルなし。やめる覚悟で臨んだ最後のインターハイを制し、才能が開花した。「性格は“雑い”。元々は形も雑だった」。少しでも競技に生かそうと「動きや流れ。表現なので、見ている人にどう伝えるかを勉強できる」とフィギュアスケートの羽生結弦や体操の内村航平の演技に学んだ。生活の全てを空手に注いできた。

 今大会で初実施された空手は、24年パリの実施競技からは外れている。28年ロサンゼルスでの復活も見通しは厳しい。それでも清水は言った。「また自分の演武を世界の人に見せたい」。五輪が全てではない。空手の道を極める旅路に終わりはない。

 【清水 希容(しみず・きよう)】

 ☆生まれ 1993年(平5)12月7日生まれ。大阪府出身の27歳。

 ☆サイズ 1メートル60、57キロ。

 ☆競技歴 9歳の時に糸東(しとう)流の養秀館本部で開始。東大阪大敬愛高―関大を経て現在はミキハウス所属。

 ☆主な実績 世界選手権は14、16年2連覇、18年2位、アジア大会は14、18年2連覇。全日本選手権は13~19年に7連覇、12、20年は2位。

 ☆名前の由来 父方の祖父の友人が名付け親。「希望の器が大きく育ってほしい、希望を追い続ける子に育ってほしい」との思いを込められた。非常に珍しい名前のため、本人いわく「同じ名前の人に出会ったことはない」。

 ☆ニックネーム 「空手界の綾瀬はるか」。今年のミス日本では和田静郎特別顕彰を受賞した。

 ☆音楽 試合前日はファンキーモンキーベイビーズの「あとひとつ」を聴き気持ちのスイッチをオンに。当日は菅田将暉の「見たこともない景色」を聴いてテンションを上げる。本人いわく「背中を押されている感覚がある」。

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