早く逝きすぎた青森の偉人たち

[ 2022年8月2日 14:30 ]

寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」と武田砂鉄が編んだ「ナンシー関の耳大全77」の文庫本表紙
Photo By スポニチ

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】アングラ演劇の実験的集団「天井桟敷」の主宰者で、歌人、劇作家、脚本家、映画監督、作詞家、さらに評論家とマルチに活躍した寺山修司の評論集の1冊に「書を捨てよ、町へ出よう」(1967年3月出版)がある。

 75年に角川書店から文庫本が出て、その改版8版(2007年)を久しぶりに読み直している。

 「第二章 きみもヤクザになれる」の「ああ日本海」の項で、寺山は民謡歌手を目指して上京した叔父の話を書いている。

 「その叔父も、どうやら歌手としては成功できなかったらしく、今は釧路の遊楽街で春画ならぬ、春歌を歌っているらしい」

 7月下旬、法事で釧路に帰省した筆者は「きっと末広町か栄町に違いない」と想像するが、街は大きく様変わり。漁師や炭鉱マンでにぎわいを見せた昔の面影はすっかり消えており、遊楽街を特定するのは難しい。それでも、この一文に触れる度、しばし郷愁に浸れるから不思議なものだ。

 83年に47歳の若さで世を去った寺山は青森県三沢市で産声をあげた。同県出身の著名文化人といえば、作家の太宰治(五所川原市)、石坂洋次郎(弘前市)、三浦哲郎(八戸市)、長部日出雄(弘前市)、版画家の棟方志功(青森市)、カメラマンの沢田教一(青森市)、歌手の吉幾三(69、五所川原市)、俳優の松山ケンイチ(37、むつ市)といった名前がすぐに頭に浮かぶ。スポーツはじめ、その他の分野まで手を広げると切りがないから辞めておく。

 「洲崎パラダイス 赤信号」(56年)「幕末太陽傳」(57年)「貸間あり」(59年)「しとやかな獣」(62年)などで知られる映画監督の川島雄三もむつ市の出身だ。63年に肺の病で45年の生涯を閉じているが、命日の6月11日にはむつ市が映画祭を開催し、郷土の偉人をしのんでいる。

 消しゴム彫刻家としても活躍した辛口コラムニストのナンシー関も亡くなって6月12日でちょうど20年が過ぎた。彼女は青森市の出身。東京・銀座の書店にはちょっとしたコーナーが設けられ、関連本が平積みされている。武田砂鉄編の「ナンシー関の耳大全77」(朝日文庫)など、その何冊かを手にして改めて眺めてみたが、消しゴム彫刻と文章が全く古臭くなっていないのは驚きだ。

 関も39歳の若さで逝った。寺山も川島もそうだが、早世が惜しまれてならない。(敬称略)

続きを表示

この記事のフォト

2022年8月2日のニュース