豪州で35億円の詐欺被害 矢沢は怒りをバイタリティーに変えた

[ 2022年8月2日 11:30 ]

矢沢の金言(8)

84年に初めて訪れたオーストラリアをバイクで駆け抜けた矢沢永吉。どこまでも続く大地の広さに笑みがこぼれた
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 矢沢永吉にとって人生最大のピンチだったオーストラリアでの35億円の詐欺被害。事件から4年後の2002年11月。「久しぶりに話がしたい」と呼ばれて会ったら「ホントはこの話、知らん顔しておきたいんだよ」と珍しく頭をかいた。

 なんの話かと思ったら、東京のド真ん中、港区の赤坂の一等地に音楽スタジオが入ったビルをブッ建てるというのだ。確かに、矢沢にとって音楽スタジオの建設は長年の夢だった。山中湖の自宅にあったスタジオがどんな目に遭ったのかも知っているし、豪州で建設する計画だったビルにはスタジオなどの音楽施設を造ることになっていた。とはいえ、早くないか。だって35億円の借金があった人である。

 そこを尋ねると「もちろん返済は続いているけど、あれから4年ちょっと。必死で頑張ってきたら、やっと安全圏に来つつある」と聞き、凄い返済能力とパワーにビックリ。さらにスタジオ建設の費用を聞くと「総工費約15億円。2年後には完成予定」と言うのだから、さらに仰天した。

 事件当時は「酒におぼれ、落ちるトコまで落ちた」と語っていた人が、10日くらいたったら「だんだん頭にきて。冗談じゃねえ、このまま終わってたまるか!って。豪州でダメだったけど日本で造ってみよう」との発想で、再び立ち上がるのだから凄い。

 本来なら、信じていた側近に裏切られたショックと復讐(ふくしゅう)にさいなまれるところ。法律に不備があった豪州に対しても、少なからず怒りはあったはず。でも矢沢はそれまでの人生と同様、リベンジをその相手に費やすのではなく、自分を駆り立てるバイタリティーに変えるのだ。

 「近道をしたら近道にやられる。敵は自分の中にいる」。その言葉を自分に言い聞かせてきたのに、またやってしまったと反省し、反骨のスピリッツを具現化したかのようなスタジオ建設に取りかかった。ちなみに借金返済後、赤坂にもう一つスタジオを建設。かつての名言じゃないが、まずは“オトシマエ”をつけて、さらにもう一軒建てることで“余裕”の域に達しちゃうところがさすがだ。

 「結局いつも遠回りだけど、矢沢の人生、間違ってなかったよね」。どんな苦境に立っても、後悔することはあっても、全て自分で描いてきた絵だからこそ言える言葉である。(阿部 公輔)

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2022年8月2日のニュース