【内田雅也の追球】月に向かって泣くか。野球に人生を投影する阪神・藤川

[ 2019年7月18日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神4―6中日 ( 2019年7月17日    豊橋 )

豊橋市民球場の上空に輝く満月(撮影・椎名 航)
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 藤川球児は見ていただろうか。豊橋の空には満月が浮かんでいた。梅雨空が時折、雲が切れ、顔を出していた。

 覚えておきたい。阪神の痛い敗戦は、藤川が打たれて敗れた夜として記憶されるべきである。

 セミや小鳥が鳴き、風が吹き抜けていた豊橋市民球場の三塁側ベンチ。練習が始まる前、少し彼と話をした。野球がいかに人生と似ているか、いかに歴史とかかわっているか。そんな話だ。

 彼は「単に野球をしているんじゃない」と言った。野球を職業とするプロ野球としては重い言葉である。言葉は少し違っていたかもしれないが、大意、そう話した。

 「野球をどういう風にとらえれば、人生に通じるのか。歴史をほうふつさせるのか。そんなことを考えてやっていれば、もっと野球はおもしろく、豊かになると思うんです」

 その通りである。彼も若いころは気づかなかったというが、年を重ねて38歳。野球を、そして人生を見つめるようになったのである。

 野球記者は、そんな原稿を書くためにいる、と思い直した。

 小学校の卒業文集のテーマは『21世紀のぼくたち』だった。1975(昭和50)年3月。遠い未来だった21世紀に「君たちが何をしているのかを書きなさい」と先生は言った。「野球の記者をしている」と書いた。野球が大好きで、プロ野球選手は無理、新聞が好き、という三段論法で書いた。そして、13年目を迎えている小欄のテーマは「野球と人生」と思っている。

 藤川も読んでくれているそうだ。ならば、あの満月を忘れないことだ。

 英語に「cry for the moon」という表現がある。直訳すれば「月が欲しいと泣く」。空に浮かぶ月は手にしたくとも届かない。慣用句で「無理を言う」「ないものねだりをする」となる。

 小林一茶の句に「名月をとってくれろと泣く子かな」とある。わが子に「あの月が欲しい」とせがまれた父親の、ほほえましい姿が目に浮かぶ。

 洋の東西を問わず、月について、同じ感覚の言葉があることに驚く。

 ただし、彼は月に泣くような男ではない。ないものねだりなどしない。3日間連投もいとわず、ブルペンの後輩たちに背中を見せてマウンドに向かった。浴びた長打は2本とも速球だった。全力で投げ、そして打たれた。それだけのことだ。

 あと2回2/3を自責点0でいけば、国内プロ野球での通算防御率が1点台になっていた。表彰規定などないが、相当な記録だ。特に、細切れに登板する救援投手ではすごいことだ。試合前、「それはそれ。次への糧ですよ」と言って笑った。

 防御率1点台に表彰などない。自責点がつけば、また下がる。彼は十分承知で「表彰なんて興味ありません。それに、ダメなら(2点台に落ちれば)、またやればいいんです」と話していた。

 あるべき姿だろう。野球に向き合い、山あり谷ありの人生を見つめる彼は「またやればいい」と常に前を向く。だから、豊橋の、そして満月の夜は、覚えておきたい。=敬称略=(編集委員)

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