巨人・原監督が思い描く“新元号のプロ野球”「12球団でリーダーシップを取る意識を」

[ 2019年3月27日 08:30 ]

平成元年の開幕戦で2本塁打を放ち勝利に導いた記事が掲載される89年4月9日付スポニチ本紙1面のパネルとともに笑顔の巨人・原監督(撮影・木村 揚輔)
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 平成最後の開幕戦を29日に迎える巨人・原辰徳監督(60)がスポニチ本紙の単独インタビューに応じ、平成の野球界と巨人の展望を語った。現役時代は1989年(平元)4月8日のヤクルトとの開幕戦(東京ドーム)で「平成1号」を放ち、指揮官としては3度の日本一、7度のリーグ制覇に導いた。4年ぶりに復帰した名将が、5月1日の改元とともに新たな巨人軍をつくる。(取材、構成・神田 佑)

 ――平成元年の開幕戦。初回に放った先制2ランが、平成のプロ野球の幕開けを告げた。

 「いやいや、そんなおこがましい。平成に変わったということはあったけど、自分の中では突っ走っている最中だった。藤田監督の2期目の開幕戦。東京ドームができて2年目の年だった」

 ――同年から贈られた童夢くん人形に目もくれず、ナインの元へ走った。

 「おー、興奮していたんだね。(スポニチの紙面を見ると)花束も忘れているもんね」

 ――あれから30年がたった。

 「野球は変わってきてますよね。(投手の)分業制に、球種も増えた。技術も上がった。日本の立ち位置が世界で認められたのが、平成の大きなところでしょうね。日本の野球というものがメジャーリーグ、世界で通用するというものを構築させた。世界に知らしめたというのが平成だと思います」

 ――09年WBCで監督として世界一連覇に導いた。

 「僕は監督として一端を担えた。2連覇というのも、平成の中ではとても印象に残っていることですね」

 ――野球にテクノロジーが用いられるようにもなった。

 「僕が離れていた3年間で変わったと思いました。勝利貢献度も数値で示される。球の軌道を示すデータ、トラックマンは説得力がある」

 ――新元号が4月1日に公表され、5月1日に改元する。

 「昭和、平成、新しい元号でも野球ができる。そこはワクワク感はあるね。健康である。野球の神様がいるなら、まだまだ見放されていない。まだ暴れられる。自分は還暦を迎え、元号が変わる。新たな自分の出発点として、スタートできる」

 ――巨人が12球団で平成最多の勝利数を挙げた。今後も球界をリードするべきか。

 「そこはそんなに強く昔ほど言うことではない気がするね。12球団がリーダーシップを取る意識を持った集団でないと、プロ野球というのは未来永劫(えいごう)栄えていかないと思う」

 ――12球団の本拠地観客動員数も増加している。

 「昔は、ジャイアンツに他のチームが付いてきた時期はあると思う。ジャイアンツがプロ野球をつくったと言っても過言ではない。それは1970年代くらいまでじゃないでしょうか。今は各12球団が特徴、立ち位置をしっかり分かって野球界を引っ張っている。これは大きな違い。プロ野球界がいい方向に向かっている」

 ――今後、巨人のあり方は。

 「その中で盟主であるというプライドを持って、球界にジャイアンツというチームが燦然(さんぜん)と輝くということは必要だと思います」

 ――今季復帰した原監督の下、5年ぶりのV奪還を目指す。

 「この2019年度のメンバーは“新しいチーム、新しい歴史をつくる”という意識を持つことが大事」

 ――第89代4番の岡本は22歳と若い。「4番を譲るな」という思いは。

 「それはそう。キーマンだと思いますよ。岡本が新しい時代を築き、担うためには、とても大事なシーズンになる。私も監督という立場で、しっかりとサポートしていきたい」

 ――2番に坂本勇を起用する。日本ではまだ確立していない「強打の2番」になる。

 「そういうオーダーが組めるというのもこのチームの特長。そういうメンバーがそろっていた。分かりやすく言うならば、3番バッターが2人いる。(坂本)勇人が先陣を切って、(3番の)丸がその後ろに控えている」

 ――捕手は併用し、6、7番打者は臨機応変に起用することを決めた。

 「デッサンはしっかりできたと思う。今度は仕上げの段階で、きれいなものにしていく。開幕から強いものにしていく」

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