サーフィン男子・五十嵐カノア 決勝で敗れ涙の銀 米拠点の文武両道23歳 日の丸ボードで母国愛胸に

[ 2021年7月27日 16:21 ]

東京五輪5日目 サーフィン男子決勝 ( 2021年7月27日    釣ヶ崎海岸サーフィンビーチ )

サーフィン男子決勝で敗れ、悔しがる日本の五十嵐(AP)
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 五輪の新種目、サーフィン男子で日本の五十嵐カノア(23、木下グループ)が、決勝でフェヘイラ(ブラジル)に敗れ、銀メダル。五輪初代王者はならなかった。

 台風8号の接近で28日の日程が前倒しされるなど影響が出る難しいコンディション。決勝は一時リードしたものの中盤以降は得点を伸ばせず。次々と技を決めた2019年世界王者のフェヘイラの前に屈した。

 インタビューでは悔しそうな表情を浮かべ「ほんとに悔しい。ファイナルまで来て、特に金メダル獲りたかったのでチャンスなかったのが悔しい」と唇をかみ、家族への思いを口にして涙を浮かべた。

 それでも世界トップの力は十分に見せつけた。準々決勝では開始早々から技を繰り出し、序盤から大きくリード。アンディノ(米国)を1.60点差の12.60点で破り、4強に進んだ。さらに準決勝では優勝候補メジナ(ブラジル)を0.24点差の17.00点で撃破。中盤までポイントで5.92点差をつけられる劣勢だったが、残り7分50秒で大技「エアリバース」を決め、大逆転で決勝に進出した。

 文武両道を地で行く23歳だ。サーフィンの腕を磨くかたわら、高校を2年飛び級の15歳で卒業。英語と日本語はもちろん、フランス語やスペイン後も操るマルチリンガルだが、心の奥底には常に日本への思いがあった。その証明がツアーで着用しているジャージーの背番号「50」。名字の五十嵐からとった数字に、日本人としての誇りがにじむ。

 そんな愛する母国での五輪に向けて、準備を重ねてきた。19年にプロツアーの成績に基づいて暫定的に代表権を獲得するまで「重圧で寝られない日もあった」というが、海外でも日本に似たコンディションの海で練習。「全てが金メダルを取るための準備だった。これ以上できることはなかった」。そう言い切るほどの自信を胸に挑んだ。

 東京五輪の開会式には急きょ参加。旗手を務めたバスケットボールの八村塁やスケートボードの堀米雄斗ら異なる種目のスターたちと交流した。「本当に感動しました。これがやっぱりオリンピックだと思った」。同じ日の丸を背負うアスリートとニッポンコールで盛り上がり「そのエネルギーが伝わった。それが自分のスポーツで頑張りたい」と心に決めた。常に刺激を受ける存在の堀米とは「一緒に金メダルを獲って、一緒に写真撮ろうね」と共闘を誓っていたが、堀米も金メダルを獲得し、現実のものとなりそうだ。

 試合前日、宿舎でテレビを付ければ、五輪のニュースが流れてきた。「何のスポーツでも見て、ハマっているのはみんな同じだと思う。金メダルを獲っている人がいて、凄い、こんな感じなんだとモチベーションにもなった」。その思いを自らの内に向けた。「みんなもサーフィンを見てると思うので、いいパフォーマンスを見せたい」。

 今大会の使用ボードは、日の丸を意識した白と赤のデザイン。大会の登録番号は5番で「自分で決められないけど、ちょうど5で。GOという感じで、良い数字だなと思いました」と笑う。自国で開催される初の夢舞台。米ロサンゼルスを拠点にするプロサーファーは「英語で言うと“Proud(誇り)”です。サーフィンがここまで来て、うれしい。自分がここにいて、日の丸のステッカーをボードに貼ってやれることは、本当にボーナス。ありがたい」と強い思いをぶつけた銀メダルとなった。

 ◆五十嵐 カノア(いがらし・かのあ)1997年(平9)10月1日生まれの23歳。米カリフォルニア州で生まれ育つ。父もサーファーの五十嵐勉。16年に史上最年少、アジア人としては初めて、プロサーフィンの世界最高峰であるWSLチャンピオンシップツアーに参戦。19年5月の第3戦で日本人初優勝を果たす。名前はハワイ語で自由の意味。サッカーファンで好きな選手はクリスティアーノ・ロナウド。身長1㍍80、78㌔

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