20歳左腕の後藤希友、決勝でも上野を好救援「最高な気分です」 13年越し五輪連覇の立役者に

[ 2021年7月27日 22:22 ]

東京五輪第5日 ソフトボール決勝   日本2ー0米国 ( 2021年7月27日    横浜スタジアム )

後藤希友
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 代表最年少、20歳のサウスポー、後藤希友(トヨタ自動車)が先発の上野由岐子(39)を好救援。日本の13年越しの五輪連覇の立役者の1人となった。

 6回無死一塁でマウンドに上がると、マクレニーを空振り三振に仕留める。続くリードに中前打され、1死一、二塁となったが、続く、チデスターの遊撃へのライナーを渥美が好捕。飛び出した二塁走者と併殺となり、無失点で切り抜けた。

 「今までの4試合とは違う空気で緊張した。こういう試合になると分かっていた。緊迫する場面で回ってくると。(自国開催の五輪は)自分の現役ではもうない。すごく最高な気分です」と笑顔で話した。

 22日の1次リーグ第2戦、メキシコ戦。39歳の誕生日だった上野が招いたピンチを切り抜け、延長でのサヨナラ勝ちを呼んだ。投げるたびに成長する。1次リーグで9回2/3を投げて防御率0・00。打者37人に対して21奪三振と絶対的な存在となった。この日も1三振を奪い、得点を許さず、上野へと再びつないだ。

 球種は直球とチェンジアップのみ。ただし、握力47キロの左手から繰り出すストレートはMAX113キロを誇る。野球における「150キロ以上」とされる110キロ超の速球は、不規則によく動く。データの少ないことも、大きく味方した。

 上野とは19歳も離れている。日本が金メダルを獲得した08年北京五輪は、小学2年生。まだソフトボールを始める以前で、ピアノに一生懸命だった。「AB型で、私、変わってるんです」と自己評価する無頓着な性格で、小4で競技を始め、中2で全国制覇をしながら「五輪に出たいと思わなかった」と無関心だった。それどころか、推薦の話をもらうまでは、「高校でソフトをやるつもりがなかった」と、熱血からはほど遠かった。

 トヨタ自動車入社1年目の19年秋に日本代表に招集され、意識は変わった。トヨタ自動車所属の米国のエース左腕で、この試合も登板したアボットからも「試合に向けた体のつくり方、気持ちの切り替え方を学んだ。見て学べるところは盗んでいる」と言う。粗削りだったパフォーマンスが安定し、20年リーグ戦は5勝無敗。五輪の1年延期も追い風になり、日本をその腕で頂点へと押し上げた。「みなさんの力が届いていた。今後の人生で成長できるようにしたい」。金メダルで、後藤には新たな覚悟が加わったようだった。

 【後藤 希友(ごとう・みう)】
 ☆生まれとサイズ 2001年(平13)3月2日生まれ、名古屋市出身の20歳。1メートル73の長身左腕。名前は、希友と書いて「みう」と読む。兄の佑友(ゆう)さんも、「友」の字で「う」と読ませる。

 ☆多彩な少女時代 水泳、バスケットボール、テニスの他に冬は家族でスノーボードやスキーにも出掛けた。野立小4年からソフトボールをし、春夏はソフト、秋冬はバスケの二刀流で活躍。年少から小6までピアノも習った。「今も気分転換に弾く」

 ☆球速 小4から投手で、日比野中で開花。中3で105キロ。愛知・東海学園高で110キロに達し、3年夏に全国高校総体で優勝。

 ☆メガネ 試合中の捕手のサインが見づらく、昨年から着用。視力は左右ともに裸眼で0.7。普段は科技学園豊田高で事務職に就く。

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