アーチェリー男子 団体初の銅メダル!36歳・古川に安定感「ノミの心臓」結婚し克服

[ 2021年7月27日 05:30 ]

東京五輪第4日 アーチェリー男子団体3位決定戦 ( 2021年7月26日    夢の島公園アーチェリー場 )

銅メダルが決まり喜ぶ(右から)古川高晴、武藤弘樹、河田悠希
Photo By 共同

 男子団体で、河田悠希(24=エディオン)古川高晴(36=近大職)武藤弘樹(24=トヨタ自動車)の日本は、3位決定戦でシュートオフの末にオランダを5―4で破り、この種目で日本初の表彰台となる銅メダルを獲得した。1回戦シードで迎えた初戦の準々決勝で、強豪の米国を5―1で撃破。準決勝で優勝した韓国に惜敗したものの、ベテランと若手の力を融合させ、歴史の扉を開いた。

 世界と差があった男子団体が、歴史を変えた。オランダとの3位決定戦は、1人1本、計3本勝負のシュートオフにもつれ込んだ。日本は後攻。ラスト3番手の武藤が10点を射貫く。28点で並んだ。同点の場合は、中心に近い矢が勝ち。武藤は、70メートル先の12・2センチの円、CDサイズのほぼ中心を捉えた。3人が肩を組んで円になって、歓喜に沸いた。

 中心に古川がいた。「メダルは重いが、心はぴょんぴょん跳ねている感じ。ここ東京で、こんな状況の中で開催された五輪で、男子団体で初めてのメダルをこの3人で獲れたのは本当にうれしい」と喜んだ。今回が5度目の舞台。源平時代で言うならば、那須与一のようなエース格だ。だが、ハートが弱いと言われ続けた。

 “ノミの心臓”のエピソードは枚挙にいとまがない。初出場の04年アテネ大会は初戦の1射目を構えた瞬間にシャッター音が鳴り響き、我を失った。12年ロンドンで銀メダルを獲っても、いつも不安と隣り合わせ。リオ五輪は「2大会連続メダルの期待がかかる古川」というネット記事を現地で目にしたとたん、平常心が崩れた。

 韓国代表で00年シドニー五輪団体金メダルの金清泰(キムチョンテ)コーチは「練習で絶好調なのに、遊びでも試合となると、急にビビってうてなくなる」とあきれる。近大の山田秀明監督の評価も激辛だ。「お寿司に連れて行けば、これ食べていいですか?といちいち聞いてくる。金コーチのように、これ食べますと言える度胸がないんですよ」。

 根が優し過ぎる男が、東京五輪に向けて明らかに変わった。18年に6歳下の女性と結婚し、2月に第1子の男児が生まれた。重圧を避けるために、何かを宣言することをためらってきた男に変化が出た。「子供のために、妻のために、両親、妻の両親のために頑張りたい」。スマホの画像データを埋め尽くした愛息、そして家族のために、五輪で結果を出すと誓った。

 23日の予選ラウンドは64人中46位に終わり、プレッシャーが心配されたが、この日の3試合は安定感ある矢を放った。仲間に声を掛け続け、精神的支柱にもなった。男は守るものができて強くなるのだ。

 ◇古川 高晴(ふるかわ・たかはる)1984年(昭59)8月9日生まれ、青森県出身の36歳。五輪は04年アテネ大会から5大会連続出場。12年ロンドンの個人で銀メダル。15年世界選手権で銅。18年ジャカルタ・アジア大会は混合リカーブ優勝。青森東高、近大出。近大職。1メートル75、87キロ。

 ◇武藤 弘樹(むとう・ひろき)1997年(平9)6月26日生まれ、愛知県出身の24歳。愛知・東海中で先輩の姿に憧れ競技を始めた。14年南京ユース五輪6位。18年ジャカルタ・アジア大会、19年世界選手権代表。五輪初出場。慶大出。トヨタ自動車。1メートル75、76キロ。

 ◇河田 悠希(かわた・ゆうき)1997年(平9)6月16日生まれ、広島県出身の24歳。広島・佐伯高2年だった14年に全日本選手権で最年少優勝を果たし、19年も優勝。17年アジア選手権2位。18年に18メートルの室内日本記録を樹立。五輪は初出場。日体大出。エディオン。1メートル78、79キロ。

 ▽アーチェリー団体 ランキングラウンドの合計点が上位の16カ国が出場し、1チーム3人で行う。1エンドで3人が各2射をうち、得点の高いチームが2ポイント、引き分けの場合は両チームが1ポイントずつ獲得。最大4エンドまで行い、ポイントの高いチームが勝利。同点の場合は延長戦のシュートオフに突入。3人がそれぞれ1射ずつうち、ここでも得点が並んだ場合は、最も中心に近い矢のチームが勝ちとなる。

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2021年7月27日のニュース