【競泳】田知本遥さん 池江の言葉に感じたアスリートの真理 勝ち負け超えて…まとう本当の強さ

[ 2021年7月27日 09:00 ]

<競泳女子400メートルリレー予選>スタート台に立つ池江(左から2人目)=撮影・小海途良幹
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 【メダリストは見た 田知本遥さん】競泳女子の池江璃花子(21=ルネサンス)が女子400メートルリレーで東京五輪の舞台に立った。その言葉の力に、16年リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級金メダリストの田知本遥さん(30)は魅せられたという。現在はスポーツキャスターなども務める田知本さんは、コロナ下の五輪に集う全てのアスリートに、提言も寄せた。

 競泳女子400メートルリレー決勝に日本の姿がなくて残念でした。予選で落ちた時、池江選手は悔しさを口にしていましたが、私はこの東京五輪で池江選手の泳ぐ姿を見ることができただけでもうれしかった。そして、今後もまだまだリレー種目で姿を見ることができる可能性があると思うと、本当にワクワクしています。

 大会前からずっと、池江さんに引きつけられてきました。白血病や闘病というストーリーにではなく、魅力を感じてきたのは驚くほど素直で正直な言葉の数々です。特に、印象に残っている発言が2つあります。一つは病気が判明したあとの「もう五輪について考えなくていいんだ」という趣旨のもの。もう一つは復帰レース時の「何番でもいいから幸せを感じようと思っていた」という内容のものでした。

 なぜこれほど言葉が響いたのか。それは、私自身が感じてきたものに似ているからだと思っています。競技者の受ける重圧、そして競技が好きという純粋な気持ち。池江さんの境遇とは異なりますが、現役時代の私も2度、畳を離れたことがあるんです。1度は自主的、2度目は強制的でした。最初は14年の夏。ロンドン五輪出場後、何度世界に挑んでも勝てない時期に、何かを変えないといけないと考えて単身で約1カ月、英国に渡りました。

 次は15年の春でした。強化選手としてルールに抵触してしまい、その年の世界選手権の代表選考レースから外されたんです。翌年はリオ五輪。もう大目標は目指せないのか不安になりました。しかし、処分はその年の世界選手権まで。7月にロシアの国際大会で復帰したときに、気づいたんです。柔道ができることは当たり前ではないということに。緊張することに悩んでいた私は、緊張を味わえることの幸せにも気づきました。そうすると、プレッシャーすらいとおしく感じるようになりました。

 池江さんの言葉に表れているのは、勝ち負けを超えたアスリートの真理だと思います。病気になったことは悲しく、つらい。でも、そういう真理に気づけた選手は、本当の強さをまとえると思うんです。いろんなことに目を向け、知るのは、決して遠回りや道草ではない。勝ち負けを超えたところにたどり着くと、人間としてのスケールが増して、競技人生がより濃くなっていく。パリ五輪を目標としている池江さんは、これから本当に強いアスリートになっていくと確信しています。

 今大会、開幕してからも「本当に開催されるのが正しかったのだろうか」と思うことがあります。ただ、アスリートはこの舞台があるから夢を追って、実現もできる。その権利を得た一方で、義務も果たさないといけないと考えています。それは、大会開催に反対してきた人たち、今も嫌悪感を持っている人たちに、この大会の意義を伝え続けることです。五輪はやっぱり、選手が主役。黙っていることは、美しいことではありません。積極的に発信することを勧めたいと思います。

 ◇田知本 遥(たちもと・はるか)1990年(平2)8月3日生まれ、富山県出身の30歳。富山・小杉高―東海大。小学校2年生から姉・愛と柔道を始める。高校1年生でインターハイ団体優勝。大学では4年時の全日本選抜女子70キロ級で優勝し、ロンドン五輪に出場。大学卒業後はALSOKに所属し、16年リオ五輪に出場。金メダルを獲得した。翌17年に現役を引退。その後は筑波大大学院でオリンピズムの本質を探究した。

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