サウスポー水谷生んだ母のひらめき 1歳時に強制的変更、ラリーも幼い頃養う

[ 2021年7月27日 05:30 ]

東京五輪第4日 卓球混合ダブルス決勝 ( 2021年7月26日    東京体育館 )

決勝でガッツポーズする水谷
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 母のひらめきがなければ、日本男子卓球界のレジェンドは生まれていなかったかもしれない。水谷は、本来は右利きだ。1歳の時に強制的にサウスポーに変更させられた。

 母・万記子さんは31年前の記憶をたどる。「1歳のときに隼がスプーンを右手に持った時に、まずい、このままでは右利きになると感じて、そこから左で持たせるようにしました」。スポーツ好きだった母は、世界の本塁打王、王貞治さんをはじめとした一流選手には、左利きが多いと感じていた。対戦競技では有利に働くとも感じていた。本人の記憶にない左への転向は、結果的に吉と出た。ペンは右、箸は左で持つそうだ。

 水谷のラリーのうまさも幼い頃に養われた可能性が高いという。実力差がある相手にも簡単に勝負を決めることをしなかった。「私は、なんで?強く打ってと思っていましたけど、ラリーそのものが好きだったのでしょうね。それでうまくなったのでは?」。三つ子の魂百まで。その技で世界の頂点に立った。

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