映画監督の崔洋一さん死去 1月ぼうこうがん公表 闘病続けるも73歳力尽く…

[ 2022年11月28日 05:02 ]

崔洋一監督
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 「月はどっちに出ている」「血と骨」など骨太の作品を数多く発表し、今年6月まで日本映画監督協会の理事長を務めた映画監督の崔洋一(さい・よういち)さんが27日午前1時、ぼうこうがんのため東京都内の自宅で死去した。73歳。長野県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻、青木映子(あおき・えいこ)さん。今年1月にがんであることを公表。闘病を続けてきたが力尽きた。

 この半年間、抗がん剤治療のため入退院を繰り返した崔監督。関係者によると、10月上旬に在宅治療に切り替えた。当初は次回作の構想などを話していたが、徐々に体力が落ち、ここ数日は話すことも厳しい状態となり、最期は家族に見守られ静かに息を引き取った。映子夫人は自宅で弔問などに応じ「ありがとうございます」と気丈に頭を下げた。

 19年4月「尿が出ない」と体調の異変を訴え、都内の病院で検査を受け、ぼうこうがんが見つかった。別の大学病院を受診した際に勧められた、小腸を切って代替させる手術を選択。20年4月に行われた手術は16時間に及んだ。だが、1年後の検査で右腎、リンパ、肺への転移が見つかり、月に3回抗がん剤の投与を受けていた。

 闘病中の今年4月、親交の深かった故松田優作さんの没後30年を記念して製作した「松田優作・メモリアル・ライブ」「優作について私が知っている二、三の事柄」の上映に合わせ、7日間連続でトークショーを行った。「まさか優作と同じ病気になるとは…」と因縁めいたものを感じていたが、連日の大入り満員で、イベント後には出口で観客一人一人を見送るなど元気な姿を見せていた。

 長野県佐久市で在日朝鮮人の父と日本人の母との間に生まれ、3歳で東京に引っ越し、東京朝鮮中高級学校高級部に入学。同校卒業後、写真専門学校に進むが、学生運動にのめり込み中退し、照明助手として映画界入り。大島渚監督や村川透監督らの助監督を務め81年、日本テレビのテレビ映画「プロハンター」で監督デビューした。

 社会の中心からはじき出された人々にこだわり、共感を込めた作品を撮り続けた。83年、内田裕也さん主演の「十階のモスキート」で初めて映画を監督。93年、在日コリアンとフィリピン人女性の恋愛を軸にしたヒューマンドラマ「月はどっちに出ている」で毎日映画コンクール、ブルーリボン賞など映画賞を総なめにした。04年、監督協会の第8代理事長に就任。同年にビートたけし主演の「血と骨」を発表し、再び各映画賞をにぎわした。

 俳優としても99年、大島監督の「御法度」に近藤勇役で出演。テレビの情報番組などで論客としても活躍していた。

 ≪04年監督協会第8代理事長就任≫
 崔 洋一(さい・よういち)1949年(昭24)7月6日生まれ、長野県佐久市出身。76年「愛のコリーダ」(監督大島渚)などでチーフ助監督。04年から22年まで日本映画監督協会の理事長を務めた。

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