「鎌倉殿の13人」黒幕は?実朝暗殺の真相 公暁単独犯説が「穏当」なワケ 時代考証・木下竜馬氏が解説

[ 2022年11月28日 08:00 ]

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第45話。雪が降り積もる鶴岡八幡宮の大階段。源実朝と見つめ合う公暁(寛一郎)は…(C)NHK
Photo By 提供写真

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は27日、第45回が放送され、ついに鎌倉最大のミステリーにして鎌倉最大の悲劇「実朝暗殺」が描かれた。建保7年(1219年)1月27日、雪が降り積もる夜の鶴岡八幡宮大階段。安寧の世を目指した3代鎌倉殿・源実朝は志半ばの夭折。ドラマの時代考証の一翼を担う東京大学史料編纂所助教の木下竜馬氏が“大事件の真相”を解説する。

 <※以下、ネタバレ有>

 稀代の喜劇作家にして群像劇の名手・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。物語は、江戸幕府まで続く強固な武家政権樹立を決定づけた義時と朝廷の決戦「承久の乱」へと向かう。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は大河8作目にして初主演に挑んだ。

 第45話は「八幡宮の階段」。建保7年(1219年)1月27日、雪が降り積もる“運命の夜”。右大臣に昇進した3代鎌倉殿・源実朝(柿澤)は拝賀式を終え、鶴岡八幡宮の大階段を下り始める。「覚悟!義時!」。大銀杏の陰に潜んでいた公暁(寛一郎)が列を襲撃。太刀持ちを斬りつけた。しかし、太刀持ちは公暁が狙った北条義時(小栗)から源仲章(生田斗真)に入れ替わっていた。仲章は悲鳴。公暁の門弟に背後から刺されると血を吐き「寒い…。寒いぞ…。寒いんだよー!」。公暁は人違いに気づいたものの、仲章にトドメを刺した。

 そして対峙し、見つめ合う実朝と公暁。実朝の脳裏には“おばば”こと歩き巫女(大竹しのぶ)の声がよみがえる。「天命に逆らうな」――。実朝は北条泰時(坂口健太郎)に手渡された小刀を落とし、公暁に向かって頷いた。

 公暁が斬りかかり、実朝の血が雪を赤く染める。「阿闍梨公暁、親の敵を討ったぞ!」。しかし、読み上げる途中に声明文を実朝の亡骸の上に落としてしまい、血がついて読めない。義時は「斬り捨てよ!」。公暁は警固の兵から逃げた。

 一目だけでも政子に会いたい公暁は、御所に忍び込む。「知らしめたかったのかもしれません。源頼朝を祖父に持ち、源頼家を父に持った、私の名を」「公暁…。結局、私には武士の名はありませんでした」「4代目は私です。それだけは、忘れないでください」と祖母に告げ“鎌倉殿の証し”の「髑髏」を抱えて姿を消した。

 公暁は三浦館にたどり着き、乳母夫(めのと)・三浦義村(山本耕史)に助けを求めた。頼家の死の真相を知らない公暁に暴露し、義時と実朝を許してはならないと焚きつけた義村だったが、義時に詰問され、既に謀略を白状。食事中の公暁を背後から刺した。首桶を義時に差し出し「この先も三浦一門、鎌倉のために身命を賭して、働く所存にございます」と忠誠を誓った。

 三谷氏が「これが原作のつもりで書いている」と語るのが、鎌倉幕府が編纂した公式の史書「吾妻鏡」。成立は鎌倉時代末期の13世紀末から14世紀初頭とされ、治承4年(1180年)の「以仁王の乱」以降、鎌倉幕府の歴史が記されている。なお、時代考証の会議にはプロデューサー陣が参加。時代考証チーム(坂井孝一氏・長村祥知氏・木下氏)と三谷氏の直接のやり取りはない。

 鎌倉最大のミステリー「実朝暗殺」の“謎”として、主に史料に残るのは(A)義時は体調不良のため、仲章と太刀持ちを代わった(B)公暁は義時と間違えて仲章を討った、の2点。

 (A)は「吾妻鏡」の建保7年(1219年)1月27日の記事に「(鶴岡八幡)宮寺の楼門に(実朝が)入られた時、右京兆(北条義時)は急に心神が乱れ、(実朝の)御剣役を仲章朝臣に譲って退出され、(鶴岡の)神宮寺で正気に戻られた後、小町の御邸宅に帰られた」(吉川弘文館「現代語訳 吾妻鏡」より)とある。

 (B)は慈円が記した史書「愚管抄」に「(前略)その時実朝に、修行のいでたちで兜巾(ときん)(山伏がかぶっている頭巾)というものをつけた法師が走りかかり、下襲の裾の上にのって、一の刀で首を斬り、倒れた実朝の首を打ち落としてしまったのである。追うようにして三、四人同じような者があらわれて供の者を追いちらし、あの仲章が先導役で松明を振っていたのを義時だと思って、同じように切り伏せ、殺してから消えていった。(後略)」(講談社学術文庫「愚管抄 全現代語訳」より)とある。

 最新の研究は「実朝暗殺」をどのように捉えているのか。木下氏が解説する。

 「現在は、公暁単独犯説が穏当。無理に黒幕を想定しなくてもいいんじゃないか、という流れになってきました。江戸時代は『義時がいきなり体調不良になるのはおかしい。“アリバイ工作”をしたんじゃないか』と義時黒幕説が主流。昭和に入ると(79年の大河ドラマ)『草燃える』の原作者・永井路子さんが義村黒幕説を唱え、これを歴史学者の石井進さんが支持したため、一時期、有力視されました。一方、以前の通説では、実朝暗殺が承久の乱の前段階の事件と位置づけられており、後鳥羽上皇が鎌倉幕府をつぶすために裏で糸を引いていた、という説も。ただ、この時点で、鎌倉幕府の首脳も朝廷も、実朝を亡き者にするのは、あまりメリットがないんじゃないか。となると、突発的に起こってしまった事件だと考える方が穏当でしょう、というトレンドになっています」

 実朝暗殺に至る今作の流れを整理すると、

 (1)義村に焚きつけられた公暁が、実朝・義時暗殺を計画
 (2)泰時が公暁・義村の不穏な動きを察知し、義時に報告
 (3)大江広元に背中を押された義時が、トウに仲章討ちを命令
 (4)泰時に感づかれた義村が、計画中止を公暁に伝達。母・つつじからも諭されるが、公暁は計画を続行
 (5)御所を京に移すという実朝に愛想を尽かした義時が、仲章討ちと公暁の計画とを時房に明かす。公暁を取り押さえるという時房に「余計 なことはするな」「公暁が鎌倉殿を斬ったら、その場で私が公暁を討ち取る」と黙認
 (6)トウが仲章に捕まる
 (7)トウが討っていたはずの仲章が拝賀式に姿を現し、義時と太刀持ちを代わる
 (8)拝賀式が終わっても、大階段下の義時と義村は静観
 (9)公暁が義時も狙っていることに気づいた泰時の腕を義時がつかみ、義村と時房も行く手を阻む
 (10)実朝が大階段を下り始めると、大銀杏の陰に潜んでいた公暁が太刀持ちを斬りつける
 (11)公暁が斬ったのは仲章。人違いに気づいたものの、トドメを刺す
 (12)実朝は公暁と見つめ合い、頷く。公暁に斬りつけられ、絶命
 (13)公暁は声明文を読み損ない、逃走

 「ドラマの着地点としては公暁単独犯になっていますが、最初に義村が焚きつけて、義時も黙認。仲章が人違いで斬られたのも含めて、諸説がミックスされていて、流石の作劇だと思いました。中でも、義時が公暁の計画を知りながら、阻止しようとしない理由をつくるのが、一番ご苦労されたんじゃないでしょうか。後継者問題などで実朝と対立していても、殺めてもいい、というのは、かなり重い決断ですよね。実朝が御所を京に移そうという考えていた、というのは創作ですが、実朝暗殺黙認に至るギミックとしては興味深いです。内乱終結直後の頼朝や4代将軍・九条頼経の頃には、拠点を京都に移す可能性は十分あったと思いますので」

 「とかく対立的に捉えられてきた関係を、もう少し相対化してみよう、というのが現在の政治史のトレンドになっています。昔の通説だと、実朝は北条のお飾り状態になっていて、義時と対立、だから義時が討ったんだろう、という発想。今は、実朝は積極的には政治を行っており、義時は表向きはその補佐に徹しているので、ある程度の協調関係があったんだろう、と。そう考えると、積極的に義時が実朝を討つことはないんじゃないか、という方向に発想が動いてきました。研究全体の流れを見ると、平成初期ぐらいから協調重視の傾向が広がってきたように見えます。これという論文の発表がきっかけというわけでもなく、じわじわという感じですね。以前は推理小説のように『犯人』『アリバイ』『動機』で歴史事件を捉える発想があったんですけど、今は、成り行き上最悪の結果になってしまったんじゃないか、黒幕と思われた人にとっても予想外の事態が起こってしまったんじゃないか、という見方を採り入れて通説を見直していく傾向があります。ミステリー小説のように犯人が状況を全部コントロールしている、みたいなことは、現実にはなかなかあり得ないんじゃないか、と。結局、同時代に生きている人たちは、その時その時の出来事に訳も分からず巻き込まれていく。それは、現代に生きていても同じですよね」

 ◇木下 竜馬(きのした・りょうま)1987年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所助教。専門は中世法制史、鎌倉幕府。共著に「鎌倉幕府と室町幕府―最新研究でわかった実像―」(光文社新書)など。

続きを表示

この記事のフォト

2022年11月28日のニュース