藤子不二雄A氏「彼は天才だった」 2つに分かれた“まんが道”

[ 2022年4月7日 19:06 ]

95年、赤塚不二夫氏の還暦パーティーに出席した藤子不二雄A氏(左)と藤子・F・不二雄氏
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 漫画「オバケのQ太郎」や「忍者ハットリくん」などの作者として知られる漫画家の藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・えー、本名:安孫子素雄=あびこ・もとお)氏が亡くなったことが7日、分かった。88歳だった。

 
 富山県出身の藤子(A)氏は、小学5年で出会った同郷の藤本弘(藤子・F・不二雄)氏と漫画の合作を開始する。1954年には藤本氏と上京。その後、東京都豊島区のトキワ荘で漫画制作を始めた。
 
 64年の「オバケのQ太郎」を皮切りに漫画、アニメのヒットを連発したが、両氏に作風が出始め、87年に藤本氏とのコンビを解消。「藤子不二雄」の“まんが道”は2つの道に分かれた。

 ファンタジーにこだわった藤本氏に対し藤子(A)氏はブラックユーモア色の濃い個性を前面に出した。夢だった映画製作も「少年時代」(90年)でかなえた。 

 96年に藤本氏が亡くなった時には「肉親とは言えないが、友達を超えた特殊な付き合いだった。今も足が震えている」と絶句。「彼は天才だった。彼と知り合ったことで、自分も漫画家になれた」と肩を落としていた。

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