【内田雅也の追球】「よく生きる」という教え 阪神が今季最終戦で達成した「1―0」勝利

[ 2020年11月12日 07:45 ]

セ・リーグ   阪神1-0DeNA ( 2020年11月11日    甲子園 )

<神・D24>登板を終えて坂本(左)から花束を受け取る能見(撮影・北條 貴史)
Photo By スポニチ

 山本周五郎の『花匂(にお)う』で主人公、武家の三男・直弥が辛(つら)い経験をした幼なじみの多津を慰めるシーンがある。

 「このような経験をすることは何一つ虚(むな)しいものはない。喜びも悲しみも、みんなわれわれによく生きることを教えてくれる。大切なのはそれを活(い)かすことだけですよ」

 今の阪神である。

 苦しく、辛いシーズンの最終戦だった。

 試合後、マウンド上でファンに向けてあいさつした監督・矢野燿大は優勝を逃した謝罪に加え、希望も示した。それは、どんな時も怠らなかった打者の全力疾走や投手の全力投球という愚直な姿だった。

 何度も書くが、野球は人生に似る。直弥のように、不器用だが懸命に生きることの尊さを知る。

 春先、秋と新型コロナウイルスの感染者を出した。対応に追われ、反省はグラウンド内外に及んだ。開幕カードの巨人戦3連敗に始まり、借金は最大8まで膨らんだ。懸命に返済し、最終成績は貯金7の2位である。

 優勝でなければ2位も最下位も同じ、などという言い方もあるが、発展途上の今は2位を自信にしたい。巨人ははるかに遠く、とても準優勝――優勝に準じる――とは言えないが、2位は2位だ。昨季の貯金1の3位からの成長と見たい。

 この夜は藤浪晋太郎が5回零封。先発白星は来季への楽しみにしたい。4回表無死二塁ではけん制で走者を刺した。初めて見た気がする。6回表先頭の三遊間ゴロは木浪聖也が逆シングルの好プレーで刺した。木浪は開幕当時にすると随分うまくなった。

 懸命に戦った結果、目指すべき「守りの野球」で理想とされる1―0での勝利を今季初めて成し遂げていた。

 苦い経験はもちろん、こうしたうれしい経験も活かしたい。

 また、阪神最後の登板となった能見篤史のさわやかな別れに安堵(あんど)する。大きく振りかぶった姿はそびえ立つ塔のように美しく、投げ込む速球は切れていた。あれは確かに全盛時の投球だった。新天地での幸運を祈りたい。

 猛虎たちは苦い経験はもちろん、こうしたうれしい経験も活かしていきたい。直弥の言う通り「喜びも悲しみも」受けいれるのだ。

 季節はすでに二十四節気で立冬、七十二候はきょう12日から「地始凍」(ちはじめてこおる)、地面に氷が張るころという意味だ。

 阪神がこんな遅い時期までシーズンを戦うのは11月19日が最終戦だった1950(昭和25)年以来、70年ぶりだ。これもまた歴史的である。

 忘れてはいけない。猛虎たちは、冷え込んだ甲子園の夜を記憶にとどめたい。悔恨と希望を胸に刻むのである。=敬称略=(編集委員)

続きを表示

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2020年11月12日のニュース