“親父、見てくれたか”阪神・能見 「代名詞」ワインドアップで虎に別れ

[ 2020年11月12日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神1-0DeNA ( 2020年11月11日    甲子園 )

美しいワインドアップを見せる能見
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 阪神・能見篤史投手(41)が11日のDeNA戦で猛虎最後の登板を818日ぶりの通算2セーブ目で飾った。今季限りで退団する中、1―0の9回を無失点で締めて球団最年長セーブ記録を更新。16年間着たタテジマのユニホームに別れを告げた。

 強く美しいまま、能見はすべてをささげてきた場所に別れを告げた。見る者を魅了し続けた芸術的な投球フォーム。中継ぎ転向後は封印してきたワインドアップを解禁し、力を解き放った。

 「恩返しというか、(過去に)テレビとかもそこをアップして撮ってくれたり。代名詞だったので。何とか実現しようと思って」

 1点優勢の9回、感傷に浸る余韻も与えぬ緊迫の場面でバトンを託された。「8回に点を取ってくれる最高のところで緊張感は増した」。4球連続で直球を投げ込み、細川には中前に運ばれ、続くソトを遊ゴロ併殺。「もう一度ワインドアップができる。最後は楽しませてもらった」。再び振りかぶって最後は148キロ直球で空振り三振。2年ぶり通算2セーブ目で締めた。

 過去を捨て、道を切り開いてきた。先発陣の1人として開幕した18年は不振で2軍降格。当時の金本監督から中継ぎ転向の打診があった。「先発のままやったらあのまま2軍で俺は終わってたよ。マスコミにも叩かれて…辞めてた」。「先発にこだわりはない。個人のものを追いかける時間はとっくに終わってる」と挑んだ新天地で視界は開けた。「(元広島の)新井さんに“ボールが全然違う”と言われて自信になった」。先発時代は打ち込まれていた天敵の言葉は球威に変わった。

 昨年4月、闘病生活を送っていた父・謙次さんが68歳で逝去。父が指導者として所属した地元の野球チームで本格的に野球を始めた左腕には、唯一の悔いがある。「男の子2人が野球をやってるから、親父に教えてもらいたかったな…。それは今でも思う。40年近く指導者をしてたから、指導するのは絶対に俺よりうまい。子供もおじいちゃんの言うことは聞くよ」。スタンドに呼んだ家族、友人、関係者、そして父に。マウンドから“ありがとう”を伝えた。

 登板前、マウンドでは涙の梅野に出迎えられ、試合後は岩貞、大山も頬をぬらしていた。「大山まで泣いてるとは思わなかった。梅野もマウンド来た時から泣いてたんで」。沖縄でともに汗を流してきた「チーム能見」の面々。自分にとっていかに大きな存在でいなくなることが悲しいか。かわいい後輩たちの涙が花道になった。

 「見ての通り元気なので。まだまだ、もう少し納得いくところまでやりたい」

 グラブを天高く突き上げたのは、新たな戦いへの決意表明だ。場内を一周した後、愛したマウンドに深く頭を下げた。能見篤史が、新たな一歩を踏み出した。 (遠藤 礼)

 《球団初の40歳セーブ》41歳5カ月の能見(神)が通算2セーブ目。プロ野球最年長セーブは14年斎藤隆(楽)の44歳4カ月。阪神では今季7月9日巨人戦の藤川の39歳11カ月を上回る最年長記録で、初の40代セーブになった。能見は今月7日の広島戦でホールドを挙げており、ホールドとHP(ホールドポイント)の球団最年長記録(41歳5カ月)も保持している。

 《梅野は涙の抱擁》梅野は能見の最後の1球をミットに収め、マウンドに駆け寄って握手を交わし、涙を流した。例年1月の自主トレでは“チーム能見”としてともに時間を過ごすなど、公私で師事してきた先輩。胸中を特別な感情が占めたようで、ベンチへ下がる直前には抱擁で別れを惜しんだ。

 ◆能見 篤史(のうみ・あつし)1979年(昭54)5月28日生まれ、兵庫県出身の41歳。鳥取城北から社会人の大阪ガスを経て04年ドラフト自由枠で阪神入り。09年は先発に定着しチーム最多の13勝。12年に172奪三振で初タイトル。13年WBC日本代表。1メートル80、74キロ。左投げ左打ち。

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