阪神・梅野が明かす“捕手の原点” 能見の言葉で球界屈指の「ブロッキング」は生まれた

[ 2020年11月12日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神1-0DeNA ( 2020年11月11日    甲子園 )

<阪神合同自主トレ>チーム能見Tシャツを見せる(左から)緒方凌介外野手、能見篤史投手、梅野隆太郎捕手、岩貞祐太投手。(大森寛明・大阪編集部)
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 梅野にとって能見は捕手としての“原点”を教えられた存在だった。16年に弟子入りした沖縄での合同自主トレ中に聞いた言葉。「信頼」の構築は、あの場所から始まった。(取材・構成=遠藤 礼)

 今年2月、同じ沖縄の地で4年前の記憶を呼び起こすことは梅野にとって難しいことではなかった。「先発投手とコミュニケーションを取りたい…」。当時3年目の25歳が向かったのは、12年目のベテランのもとだった。「いいよ、おいで」。そんな短い言葉で師弟関係は結ばれた。

 キャンプインに備えて汗を流す日々。ブルペンで変化球を封印し、直球だけを投げ込む姿に「直球で生きてきた人なんだ」と衝撃を受けた。そして、毎夜ともにする食事の時間こそが成長の場。先輩の発した言葉が「捕手・梅野」のポテンシャルを目覚めさせた。

 「盗塁を刺したり、ワンバウンドをしっかり止める。それが投手にとってどれだけ助かることか。信頼関係はそれに尽きるかもしれない」

 やるべきことが明確になった。「それからはひたすらワンバンを止める技術練習に時間を割いた。捕手は生きた球を受けてナンボ。ブルペンでも絶対にそらさないように、一球一球を無駄にしないようにした」。今や誰よりもボールを後逸しない球界屈指の「ブロッキング」はそうして磨かれていった。

 1年目から2年間はバッテリーで6戦全敗。「自分の出すサインに首も振られたし、気持ち良く投げさせることができなかった。能見さんは打たれても、自分にはあえて言わない厳しさもあって、自分で気づいて欲しいというのがあったと思う」。それでも、身を盾にボールを止めることだけは続けてきた。

 17年には112試合に出場するなど台頭。そんな時だった。「“ウメがずっと(マスク)かぶらないと、優勝はできないぞ”と言われた時は本当にうれしかった」。信頼という名の“直球”がミットに収まった瞬間、背番号44はまた一回り大きくなった。

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