広島 危機救った30年前にまいた種 カープアカデミー出身フラ&バティが主力に

[ 2018年9月27日 08:40 ]

セ・リーグ   広島10―0ヤクルト ( 2018年9月26日    マツダ )

<広・ヤ>ビールかけを楽しむ(左から)磯村、フランスア、バティスタ(撮影・北條 貴史)
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 救援陣が崩壊寸前に陥った初夏。救世主になったのはフランスアだった。8月はプロ野球記録に並ぶ月間18試合登板のフル回転。30年前にまいた種が花を開き、実を結んだ。

 先代の松田耕平オーナー(02年に死去)らがドミニカ共和国を初めて訪れたのは1988年だった。90年にカープアカデミーを創立。選手を発掘し、鍛えて日本へ送り出し始めた。95年には15勝のチェコを輩出。当初は順調に見えた。

 維持費は年間8千万から1億円。成果が途切れ、04年の球界再編騒動を経て放映権料が減少し、予算逼迫(ひっぱく)の折には撤退も検討された。一時は投手の育成に特化するなど存続の道を模索。「よくここまで持ったよ」。松田元オーナーは苦笑し、「父じゃなく、自分で手がけてとったら撤退しとる。父も喜んでくれとると思う」と感慨を込めた。

 いまもアカデミーには毎週4、5人が入団テストに訪れる。合格すれば1日約4時間の練習。現地指導した古沢憲司カープアカデミー担当コーチは言う。「基本的にはちゃんとした練習をしたことがない選手たちだから、磨けば光る。まずは練習できる体をドミニカでつくって日本に送る」。21歳の頃に4カ月間在籍したフランスアは「経験したことないしんどさだった。でも、日本に行けばさらに厳しいことは分かっていた」と振り返った。

 土台があるから日本へ来た後も若手と同じ猛練習をいとわない。フランスアは14年秋に来日。練習生として約3年半を過ごし、今年3月に育成選手、5月下旬に支配下選手へステップアップした。打者ではバティスタも。自前で育てた外国人選手が戦力として3連覇に貢献。今秋も新たに数人が練習生として来日予定だという。

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2018年9月27日のニュース