巨人・山口俊 ノーヒッター 28人斬り“準完全”「プロに入って一つの夢だった」

[ 2018年7月28日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人5―0中日 ( 2018年7月27日    東京D )

<巨・中>ノーヒットノーランを達成し小林(左)と抱き合う山口俊(撮影・荻原 浩人)
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 快挙で連敗ストッパーだ。巨人の山口俊投手(31)は27日、本拠地での中日戦で史上79人目(通算90度目)の無安打無得点試合を達成した。許した走者は7回無死からの四球による1人だけの「準完全試合」だった。柳ケ浦(大分)から06年に横浜(現DeNA)に入団し、17年に巨人に加入。移籍2年目の右腕は6連敗中だったチームを救う快投で8勝目を挙げた。

 103球目。最後の打者の大島を一ゴロに打ち取り、歓喜の瞬間が訪れた。一塁ベース付近にいる山口俊目がけてナインが駆け寄る。バッテリーを組んだ小林、好守のマギーと熱い抱擁を交わした。

 「プロに入って、ノーヒットノーラン、完全試合は夢だった。その一つを達成できて良かった」。意識をした途端にピンチが来た。「6回終わったくらいから」と偉業が頭をよぎった7回。先頭・大島に四球を許し、完全試合は消えた。それでも味方の好守もあり、後続を3人で片付けた。「あそこは凄く大きかった」と、最後まで打たせなかった。

 約1カ月ぶりに組んだ女房役が長所を引き出してくれた。「調子は良くなかった。真っすぐはいけるかなというイメージだった」と振り返る。最速150キロの直球を主体に、フォークやスライダーを内外角に散らし「小林が長いイニングを考えて配球してくれた」と的を絞らせなかった。

 わずか1勝に終わった昨オフ、高橋監督から食事に誘われた。FA移籍1年目の昨季は右肩痛で出遅れ、暴行事件による出場停止で7月9日の登板が最後となっていた。会の終盤、指揮官から「期待してる。来年は頼むぞ」と声を掛けられた。心機一転、来季に臨めるように設けられた一席。山口俊は「チームに迷惑をかけてしまった。自分が悪いんですけど、FAで来たばかりで自分もきつかった」。新たな気持ちで新年を迎えられた。

 その高橋監督は「一試合を平然と投げ切るタフさは前から言っている通り」と絶賛した。移籍後初登板初勝利を挙げたのは継投でのノーヒットノーランとなった昨年6月14日のソフトバンク戦。同じ東京ドームだった。右肩痛からの復帰で6回102球で降板となったが、この日は「代える理由がなかった」。リーグ単独トップの6完投目に、ベンチから頼もしげに見つめた。

 巨人では12年の杉内以来の偉業。山口俊の脳裏に最も焼き付いているノーヒットノーランも「杉内さんの試合」と言った。移籍後初勝利時には涙を見せたが、お立ち台では帽子を深くかぶって泣きまねをし「泣いてないよー」と笑いを誘った。

 「こういう歓喜を優勝という形で味わいたい」。6連敗中だったチームの空気を変えた快投。歓喜の涙は逆転優勝までとっておく。 (川手 達矢)

 ≪49度目の準完全試合≫山口俊(巨)がプロ野球79人目、90度目、セでは38人目、41度目のノーヒットノーランを達成。巨人では12年の杉内以来12人目、16度目。許した走者1人だけのノーヒットノーランは14年5月2日ロッテ戦の岸(西)に次ぎ16人目、17度目。また、15年3月28日ヤクルト戦のジョンソン(広)以来46人目で49度目の準完全試合(許走者1人の完封)にもなった。

 ≪単独&継投達成は77年ぶり2人目≫山口俊は昨年6月14日ソフトバンク戦に先発しマシソン、カミネロと継投ノーヒットノーランも達成。単独と継投のノーヒットノーラン達成は、森弘太郎(阪急)が41年8月2日名古屋戦で継投(救援)、同年10月27日名古屋戦で単独を記録して以来77年ぶり2人目。2リーグ制後初で、両方先発も初めてだ。なお、この日対戦の山井(中)は日本シリーズ(継投完全)と公式戦(単独)で達成。

 ◆山口 俊(やまぐち・しゅん)1987年(昭62)7月11日生まれ、大分県出身の31歳。柳ケ浦では1年夏、3年春に甲子園出場。05年高校生ドラフト1巡目で横浜(現DeNA)入団。06年6月29日の巨人戦で初登板初勝利。09年に救援に転向し、12年に史上最年少で通算100セーブを達成した。14年途中から先発に再転向し、16年に自己最多の11勝。同年オフにFAで巨人移籍した。17年7月には傷害の疑いで書類送検され、シーズン終了までの出場停止などの処分を受けた。1メートル87、97キロ。右投げ右打ち。

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