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中村吉右衛門さん逝く 人間国宝77歳、先月28日 心不全 梨園屈指の立役 舞台復帰かなわず

[ 2021年12月2日 05:30 ]

06年、初代中村吉右衛門の生誕120年記念の製作発表に出席する(左から)市川染五郎、松本幸四郎、中村吉右衛門さん
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 歌舞伎界屈指の立役として知られる俳優で人間国宝の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが11月28日午後6時43分、心不全のため都内の病院で亡くなった。77歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族のみで執り行い、お別れの会については未定。今年3月に食事中に倒れ、緊急入院。舞台復帰を目指し療養を続けていたが力尽きた。大きな財産を失った歌舞伎界にはショックが広がった。

 播磨屋の大名跡が静かに旅立った。今年3月28日夜、東京・歌舞伎座での舞台後、ホテルのレストランで食事中に倒れ、一時は心肺停止状態となり、病院に緊急搬送。持ち前の体力で一命は取り留め、一般病棟で治療を続け、小康状態が続いたという。近しい関係者は「長い間、意識が戻ることはなかった。新型コロナの影響で家族もなかなか見舞うことができなかったと聞いています」と話した。

 最後の舞台は3月の「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の石川五右衛門役。舞台では異変は見受けられなかったが、関係者によると「倒れる数日前から体調を崩しており、舞台裏では様子がおかしかった」という。

 かねて心肺機能に疾患を抱えていたとされ、吉右衛門さん自身が昨年12月に配信したデジタルマガジンでも「ある手術を受けた」と明かしており、別の親しい関係者は「体に想像以上の影響があったようです。大声を出すと息が上がったり、立ち上がるにも苦労すると話していた」と説明した。ヘルペスを発症したことにより、約7年前から味覚障害に苦しみ、ここ数年は舞台を休演することも多かった。

 吉右衛門さんは初代松本白鸚さんの次男として生まれ、跡継ぎがいなかった母方の祖父・初代中村吉右衛門さんの養子となった。10歳のときに祖父が亡くなり、実家に戻り実兄の二代目松本白鸚(79)とともに芸を磨いた。

 若い頃は体が細く、舞台映えがしないことや、声変わりが長引き声量が出ないことから、歌舞伎を続けるか悩んだ。それでも二代目の吉右衛門を継ぐという一心で、鏡を見ながら発声練習をするなど猛稽古を重ねた結果「張って良し、抑えて良し」と評されるほどのセリフ回しを会得。06年からは毎秋歌舞伎座で「秀山祭」を行い、初代吉右衛門の芸の継承にも力を入れた。中でも「俊寛」は繰り返し演じ、上演する時代ごとに解釈を深めていった。当たり役の弁慶も猛々(たけだけ)しさと慈愛に満ちあふれ、NHKでもドラマ化された。

 後進指導も積極的に行い、松貫四(まつかんし)の筆名で脚本も手掛けるなど裏方としても支えた。深い人物造詣と巧みなセリフ術で常に観客を魅了。「歌舞伎界で最も技量を持った役者」と評価され、11年に人間国宝に認定。歌舞伎以外でもフジテレビの時代劇「鬼平犯科帳」シリーズで人気を博した。

 昨年8月には人間国宝で初となるオンライン配信を行うなど、新しい潮流も貪欲に取り入れる姿勢を併せ持ち、歌舞伎界をリードする存在だった。80歳で人気演目「勧進帳」の弁慶を演じること、その舞台で孫の尾上丑之助(8)と共演することが目標だと公言していたが、その願いはかなわなかった。

 ◇中村 吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名波野辰次郎=なみの・たつじろう)1944年(昭19)5月22日生まれ、東京都出身。八代目松本幸四郎(のち初代松本白鸚)の次男として生まれ、母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子になる。48年に初舞台。66年に二代目中村吉右衛門を襲名。17年に文化功労者。趣味は日本画と句作。1メートル78。

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