阪神・青柳 虎の大黒柱にあった“夜明け前”…クビ覚悟した3年目「あの1年があったから今がある」

[ 2022年7月16日 07:15 ]

セ・リーグ   阪神2-1中日 ( 2022年7月15日    甲子園 )

<神・中>力投する阪神の先発・青柳(撮影・後藤 大輝) 
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 苦投でも勝てる。進化のにじんだ大台到達だ。青柳が泥くさい1勝で2年連続の2桁勝利をマークした。

 「チームが勝って、(自分に)勝ちが付いて、うれしいぐらいの感じで、(スピードは)あまり意識してなかった」

 89、90年斎藤雅樹(巨人)以来5人目、阪神では初の2年連続リーグ最速10勝も通過点に過ぎなかった。「調子がいいわけでもなかった」。初回に先制点を献上。以降は要所を締め、最少失点で6回96球を投げきった。

 中盤以降は「バッターに打ってもらおう」とコースを狙うことから打たせて取る投球に変更。女房役との呼吸もバッチリで、「梅野さんの言う通りに投げただけ。いいリードをしてくれた」と感謝した。

 虎の新エースへ歩を進める背番号50にも“夜明け前”がある。「間違いなく、あの1年があったから今がある」。そう明かしたのはプロ3年目だ。1軍登板4試合にとどまり、大半の時間をファームで過ごした。

 「どこもケガしてないのに、2軍でも“中1カ月”とか。なんで俺の登板、来ないんだって」

 雨で試合が中止になれば、まず自分の登板が白紙になった。

 「遠征メンバーから外れて、1年目の子と残留で一日中、特守を受けたり。鳴尾浜でも試合中にサブグラウンドでずっとノック受けて…」

 腐りかけていた。「俺、何のために練習してるんだろ。このままだとクビになると思った」。今だから分かる分岐点だった。

 「どうして投げられないかを考えてみた。技術もメンタルも」。当時は調子のムラがあった。「投げてみないと分からない投手は1軍では使えない。そこで自分に向き合えた」。当時の矢野2軍監督、福原2軍投手コーチのもとで地道な技術練習に励んだ。

 「(2人には)練習の仕方を教えてもらった。自分がレベルアップする1年間だった」

 だから、鳴尾浜で後輩を見て時に思う。

 「ちょっとぬるいなって子がいたら、気づいた方がいいんじゃないかなって。そのまま戦力外って言われたら後悔しか残らない。僕は、あの3年目があってクビを覚悟してるから、4年目で変わることができた。何か変えなきゃと思っていた」

 積み重ねる白星だけでなく、背中やマウンドでの立ち居振る舞いでチームをけん引できるまでになった。誰もが認めるエースの称号。「それは今年だけの結果なので。引退した時に阪神のエースが青柳だと言ってもらえるように頑張りたい」。見据える頂点まで、道はまだ続く。(遠藤 礼) 

 《球団右腕56年ぶり快挙》青柳(神)が両リーグ最速で10勝に到達。チームでは93年湯舟敏郎以来5人目で、右腕では66年村山実以来56年ぶり。青柳は昨季もリーグ最速の10勝到達。2年以上連続のセ10勝一番乗りは89、90年の斎藤雅樹(巨)以来5人目で、阪神では初めて。なお、阪神で球宴前の10勝到達は03年の井川慶、ムーア以来19年ぶり。

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