呉港の今秋ドラフト候補・田中多聞 無安打も10球団スカウトに“本盗”で俊足アピール

[ 2022年7月16日 06:00 ]

第104回全国高校野球選手権広島大会・2回戦   呉港4-2安西 ( 2022年7月15日    鶴岡一人記念 )

<安西・呉港>8回1死一塁、松本の適時二塁打で同点のホームを踏んだ呉港・田中(左)がガッツポーズをする(撮影・岸 良祐)
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 第104回全国高校野球選手権大会(8月6日から17日間、甲子園)の出場校を決める地方大会は15日に各地で開催され、広島大会では高校通算48本塁打で今秋ドラフト候補の呉港・田中多聞外野手(3年)が2打数無安打ながら俊足で初戦突破に貢献した。

 1点差を追いついた9回。なお2死一塁で呉港・田中は申告敬遠で一塁へ歩いた。勝ち越しの走者が自動的に二塁へ。普通なら勝負を避けられる場面ではない。尋常ではないほどの猛警戒が大器の証だった。

 1点を勝ち越し、なお2死一、三塁。三塁走者として重盗を決め、本塁へ頭から飛び込んだ。土壇場での逆転勝利。4番中堅を任される強打だけでなく「自信があるのは走塁」と胸を張った。

 「正直、負ける覚悟はありましたが、どういう形でも勝とうと話していました。粘り強く戦えたと思います」

 高校通算48本塁打を誇るスラッガーの初戦に10球団17人のスカウトが集結した。初回は死球が肩に当たってから顔面付近をかすっても全く動じない。3四死球で2打数無安打。阪神は和田豊テクニカルアドバイザーら3人態勢で視察し、快音は響かなくても山本宣史スカウトが「足も肩もあるし、中国地区の左打者ではNo・1」と断言したように高い評価は揺るがない。

 負けられない理由がある。昨秋県大会は1回戦で敗退。以降は午前6時からの朝練だけで1000スイングを欠かした日がない。両手には10個以上のマメが残る。最後の夏の初戦を迎えても、日課をこなしてから球場入り。「打たないといけない気持ちが強すぎた」と力みを自覚した。

 1934年夏には、のちにミスタータイガースと呼ばれる藤村富美男を擁して全国制覇。古豪と呼ばれることを「昔は強かった、と言われるのが悔しい」という。新たな歴史をつくる夏が始まった。(北野 将市)

 ◇田中 多聞(たなか・たもん)2004年(平16)10月24日生まれ、大阪府八尾市出身の17歳。近大付小5年から藤の里アトムズで野球を始め、大体大浪商中では南大阪ベースボールクラブに所属。呉港では1年夏からベンチ入りし、同秋から背番号3でレギュラー。2年春から現在の「8」を背負う。50メートル走6秒0、投手としても最速145キロを誇る。1メートル83、84キロ。左投げ左打ち。

 ▽呉港中と藤村富美男 呉市出身の藤村は1931年に大正中(5年制、33年に呉港中に校名変更)に入学。甲子園にはエースとして32年夏、33年春夏、34年春夏、35年夏の6度出場し、34年夏は決勝で川上哲治擁する熊本工を2安打完封して優勝。卒業後は大学進学を視野に入れていたが、36年に発足するプロ野球から誘いを受け、35年11月11日に支度金800円という当時としては破格の条件でタイガースと契約した。

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