【内田雅也の追球】「我慢比べ」の投球術 不調でも辛抱強く投げた阪神・青柳と湯浅の粘り勝ち

[ 2022年7月16日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2-1中日 ( 2022年7月15日    甲子園 )

<神・中>8回2死一、二塁、左飛に倒れるビシエド(撮影・平嶋 理子)
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 セシル・フィルダーが大リーグで本塁打王となった時のインタビューを覚えている。1990年9月だった。阪神を89年1シーズンで去り、大リーグ・タイガースで51本塁打を放った。85―88年の4シーズンで計31本塁打だったフィルダーの変身に監督スパーキー・アンダーソンは「日本からの輸入品は素晴らしい」とたたえた。

 「一体、日本で何を学んだのか?」と聞きたがる記者団にフィルダーは小さな声で言った。「それは……忍耐。最も大きかったのは忍耐と思う」

 日本の投手は誘い球が多い。打席で好球が来るまで辛抱強く待つ姿勢がいる。これが大リーグでも飛躍につながった。

 阪神時代の打撃コーチ・石井晶が「我慢だぞ、我慢」と繰り返し指導し38本塁打を放った。翌年に大リーグ復帰後、2年連続2冠(本塁打王、打点王)に輝いた。

 来日7年目になる中日のダヤン・ビシエドはそんな忍耐力があるタイプとみていた。ところがこの夜は阪神先発・青柳晃洋がその心を乱した。

 立ち上がりの投球は不安定だった。1回表は安打、盗塁、進塁打、内野安打で1点献上。なお1死一塁でビシエドを迎えた。青柳はツーシームで嫌な内角を続けて突き、詰まらせて二ゴロ併殺打にとった。二塁上で内野陣がもたついたが、ビシエドは全力で走っていなかった。絶望や無念が伝わる凡走だった。

 逆転した直後、3回表2死二塁のピンチでは梅野隆太郎がマウンドに駆け寄った。まともなストライクは不要だった。内角ツーシーム、外角カッターはともにボール球で連続空振り、三振にとった。2ストライク目はバットが止まらず、ハーフスイング(空振り)判定に不満な態度が見えた。我慢比べのような勝負に勝ったのだ。

 6回表1死一塁は初球スライダーを打ち上げ右飛。投手が湯浅京己だった8回表2死一、二塁でも打撃は崩れたままで左飛も力がなかった。

 4番をすべて走者ありの4打席で打ち取ったわけだ。不調でも辛抱強く投げた青柳と湯浅の粘り勝ちである。

 この日は石井晶の命日だった。2013年、73歳で逝った。おおらかで、苦しむ選手の心に寄り添う指導者だった。あの世から、この夜の「我慢勝負」を眺めていたことだろう。=敬称略=(編集委員)

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2022年7月16日のニュース