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【コラム】海外通信員

ボローニャ旋風の予感 スカウト強化などクラブは着実に前進

[ 2019年8月11日 09:00 ]

ボローニャに入団した日本代表DF冨安健洋
Photo By スポニチ

 冨安健洋が移籍したボローニャ。2004年から半年間中田英寿氏が所属したことで記憶されている方も多いことだろう。ただ現在のクラブの体制、どういう選手がいて、チームとしてどういうところを目標に掲げたクラブなのか。この機会にもう一度ご紹介をしておきたい。

 クラブの設立は1909年。実はスクデット獲得7回、セリエB優勝経験2回の名門である。もっともセリエAでの優勝経験は、1963-64シーズンを除いて全てが戦前。基本的にはセリエAの常連ではありながら、残留を目標として戦ってきたクラブだ。1993年6月18日には、3部降格の末に経営破綻に陥る。しかしそこからジュセッペ・ガッツォーニ・フラスカーラ会長のもとで盛り返し、3年でセリエAに復帰。ロベルト・バッジョやジュセッペ・シニョーリなどキャリア晩年に差し掛かっていた大スターを呼び、1998-99シーズンにはUEFAインタートト杯でも優勝した。もっともそこからは、資金繰りに苦労する状態が続いた。中田氏が所属した次のシーズンの2004-05シーズンには十分な戦力を揃えられず、セリエBに降格。以後、会長は次々と変わりクラブ経営は迷走した。

 しかし2014年、北米の資本家グループが経営に乗り出す。2015年からは、カナダで大手乳製品メーカーの経営に携わっていたジョーイ・サプート氏が単独で会長職に就任。まずは資金を投下して練習場を一新し、トップチームや下部組織の練習環境を劇的に変えた。一方でトップチームは相変わらず残留を争う立場からは脱していなかったが、昨シーズンに転機が訪れた。フィリッポ・インザーギ監督のもとでチームは下位に低迷、残留に向けて危機的な状況となる。そこでサプート会長は2019年の冬に覚悟を決めた。監督を更迭してフィオレンティーナやミランで指導経験のあったシニシャ・ミハイロビッチ監督を招聘。そしてなりふり構わず強力な選手数人をレンタルで獲得し、全ポジションに渡って補強を敢行したのである。その結果チームは残留どころか、10位でフィニッシュしたのである。

 「学ぶ期間は終わった。今後は常に順位表の左側(10位以上)にいるようにしたい」とサプート会長は目標を切り替えた。そしてこの夏、彼らは勝負に出る。まずは、レンタルしていた選手たちを引き止めた。ビジャレアルからレンタル移籍した2人のイタリア代表、左ウイングのロベルト・ソリアーノとトップ下のニコラ・サンソーネ、そしてユベントスが権利を持っていた右ウイングのリッカルド・オルソリーニをまとめて完全移籍。それだけで実に、3000万ユーロに近い額の金を投下したことになる。

 加えて彼らは、有望な若手を主にベルギー、オランダ、北欧方面から獲得した。オランダ人MFのイェルディ・スハウテンは、エクセルシオールで評価を上げたプレーの幅の広いテクニシャンだ。そしてヨーロッパのスカウト陣を驚かせたのが、デンマークU21代表FWアンドレアス・スコフ・オルセンの獲得だ。昨シーズン、FCノアシェランでは公式戦36試合に出場し22ゴールと大暴れ。あのバルセロナやトッテナム・ホットスパーまで獲得に動いていたというのだから、評価は推して知るべしである。またクラブ・ブルッヘから移籍してきたステファン・デンスビルも、昨シーズンのベルギー1部ではナンバーワンの評価を受けていたセンターバックだ。

 ボローニャは近年にスカウト網を強化。ビゴン強化部長は「北にいる選手たちは真面目なのでチェックを続けていた」のだという。急性白血病で治療中のミハイロビッチ監督も治療経過は順調、スタッフは分業して指導しながら復帰を待っている。今シーズン、ボローニャが旋風を起こしそうな予感は十分。果たして冨安は、成長を果たしチーム貢献できるのか。注目の1年が始まる。(神尾光臣=イタリア通信員)

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