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【コラム】海外通信員

消えたハリルホジッチの秘蔵っ子 フランスに衝撃広がる

[ 2019年1月23日 16:00 ]

搭乗していた小型飛行機が消息を絶ち、安否が心配されるエミリアーノ・サラ
Photo By AP

 彼はわが家のちょっとしたアイドルだった。

 懸命にゴールを目指す姿がけなげだが、いつも両目を大きく見開いていたため、「こういう表情を日本では、鳩が豆鉄砲を食らったような顔、と言うんだよ」と教えると、わがパートナーは大笑いしながらも、この表現をいたく気に入ってしまったのである。

 しかもヴァイド・ハリルホジッチが監督に就任すると、彼は別人のように変身した。大きな目を見開いたまま、次々とゴールを叩き入れ始めたのだ。やや不器用だった彼が、名門FCナント伝説のストライカーだったハリルホジッチ直伝の指導を受け、見事なストライカーに成長したのである。これには私たちも、鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くしたものだった。

 こうして彼は、半シーズンで12ゴールを叩き込み、リーグアン得点王ランキングでも、一時はキリアン・エムバペと並ぶトップに躍り出たほどだった。

 エミリアーノ・サラ。

 途中就任したハリルホジッチ監督とともに、沈んでいたナントを急浮上させた立役者である。3部リーグから徐々に這い上がり、やっと成功を掴んだ苦労人。

 そのサラが1月22日未明、海に消えた。

 彼を乗せた6人乗りの小型飛行機が、ドーバー海峡で消息を絶ったのである。正確には、現地時間21日夜9時にカーディフに着陸するはずだった同機が到着せず、捜索を開始したものの一旦断念、22日未明にドーバー海峡で再捜索が始まったらしい。

 原稿を書いている現時点(フランス時間22日19時)では、サラの行方も原因も不明。ひたすら無事を祈るしかないが、折しもパリは2019年初の雪に見舞われている。ましてドーバー海峡は大荒れに違いない。

 この衝撃はすさまじい。なぜならサラ本人は、もともとカーディフになど行きたくなかったからである。もちろん最後は、家族のために大幅アップする給与を考慮して承諾した。

 だがやはり異常な電撃移籍だった。サラがナントとカーディフの間を往復させられるようになったのは、ほんの一週間ほど前から。しかもナントは、ハリルホジッチ監督に相談もせず、売却を決めたらしい。ボーナス込みで推定1700ユーロの値がついたからだった。

 こうしてサラは18日朝、カーディフに去ってしまった。

 これを知ったハリルホジッチは同日、「サラのことは一度も話がなかった!」「いま多くのことに失望している」「私は自由な監督だ。うまくいかないなら、出て行く決断だってできる!」と記者会見で激怒。離縁状もつきつけかねない爆発を起こした。

 確かに、来夏のメルカートならともかく、短期再建したばかりのチームからエースをすぐ売り飛ばすなど、思いもしなかったに違いない。怒るのも当然だ。

 このときハリルホジッチは、こんな言葉も吐いていた。「私の背中越しに裏でコソコソ進んでいる。私はそれが評価できないのだ。どうなるか見てみようじゃないか。多くのことが起こるだろう」

 実際20日のアンジェ戦では、エースを欠いたため決定力不足に陥り、土壇場までもちこたえながらも94分に失点して敗北(1-0)。サプライズを起こしていたチームも、ここへきてズルズルと順位を落としている(15位)。

 だが「多くのことが起こるだろう」と予言したハリルホジッチも、サラが冬の海に消えるとは、さすがに予想もしなかっただろう。サラは電撃移籍した後、「こんな去り方はしたくない」と、古巣のチームメイトたちに別れの挨拶をするためにわざわざナントに戻り、改めてカーディフに帰る途中だった。人間的思いやりが裏目に出た格好だけに、あまりに悲劇的だ。

 ハリルホジッチの人となりを少しでも知る者なら、きっと想像できる。いまごろ監督は、崩れ落ちて慟哭しているに違いない、と。実際ハリルホジッチはトレーニングを打ち切ると、真っ青な顔で去ったという。そして私たちも、雪のドーバー海峡の冷たい海底で、サラがあの大きな目を開いているのかと想像するたび、おぞましい思いに襲われている。

 ナント、カン、ボルドーなどでサラと一緒だった選手たちもいま、ソーシャルネットに押し寄せているところだ。そこには両手を合わせて祈る絵文字や涙の絵文字が溢れており、巨大なショックがうねっている。

 一方、ナント中心部にあるロワイヤル広場には自然発生的にサポーターたちが押し寄せ、黄色(クラブのシンボルカラー)の花束を捧げている。ある男性はサラが表紙に登場した『フランスフットボール』誌と黄色のチューリップを誇らしげに掲げ、別の男性は涙に暮れている。

 気象条件にクラブ責任はない。またウラジミール・キタ会長は、「俺の金を投じた俺のクラブだ。俺の好きにして何が悪い」、と内心開き直るかもしれない。

 だがどうしても私は、「今回の電撃移籍さえなかったら」と悔んでしまうのだ。たとえ財政事情があるにしても、選手は株券でもなければ品物でもなく、生身の人間である。チームもまた人間の集団であり、フットボールもスポーツも人間たちの力でこそ成り立っている。トップは、人間の尊い生命と人生を預かっているのである。

 やはりこんな売却の仕方はやめるべきだ。サラはそう叫んでいないだろうか。サラが生きて戻ることを祈りつつ、この原稿を送る私である。(結城麻里=パリ通信員)

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