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【コラム】海外通信員

日本の応援文化と岐阜西濃シティの挑戦

[ 2019年8月10日 09:00 ]

 [日本の応援文化と岐阜西濃シティの挑戦]

 10度と寒いサンパウロから酷暑の日本に来ると30度の温度差があり、なかなか体が暑さに付いていかない。連日熱中症のニュースが流れている。しかし、1年後にはこの酷暑の中東京五輪が開催されるわけだ。この蒸し暑さの中、スポーツの祭典を行うというのはなかなかきついものがある。3年前のリオ五輪はブラジルの冬に開催されたのでちょうど良い気候で良かった。選手はある意味、暑さ対策をして、万全の体制で試合会場に向かうからまだいいが、観客は大変だろうと想像する。そうは言っても、暑かろうが、人々は試合を見に行くことを楽しみにして、一生懸命応援するだろう。

 この一生懸命応援するということだが、Jリーグを観に行って気が付いたことがある。日本には独自の応援文化があるのだなと。サッカーにかぎらず、応援団という部活があるくらいだ。応援するという行為が一つのスポーツなのではないかと。

 ブラジルでイメージするサッカーゲームの応援というのは、試合を見ながら一喜一憂するもの。時には賞賛し、感嘆し、怒りブーイングし、罵倒する。ボールの動きに合わせて、観客はピッチで起きていることと同じ呼吸をする。素晴らしいテクニックで相手をかわした時は感嘆の声をあげ、チャンスが生まれゴールになりそうな時は固唾を飲み、相手にボールを奪われシュートを打たれたら、危ない!と肝を冷やす。そして、凡ミスをすればブーイング。ゴールを決めたら誰彼かまわず隣の人と抱き合って喜ぶ、みたいなことだ。それが普通なのだと思っていた。

 しかし、所変わればいろいろな応援の仕方があるものだ。Jリーグの場合は、応援文化というものがサッカーというスポーツの枠を超えて存在しているように感じた。

 試合展開に関係なく90分間一生懸命応援し続ける姿を見て、もっと試合に集中して見たいだろうに応援団は応援に集中して手を休めないのだと。試合が始まったら、ノンストップどころか、試合が始まる前にもエール交換などが行われ、サポーターには大きな役割があるのだという印象を持った。どのスタイルが正しいかどうかはわからない。しかし、観客とピッチの一体化は同じ呼吸をした時に生まれる。コパアメリカの初戦のブラジル対ボリビアははサンパウロFCの本拠地であるモルンビースタジアムで行われた。7万人入るスタジアムには5万人ほどで、所々に空席が目立った。試合は全く盛り上がらず、試合の途中全く音も無くシーンと静まり返る時まであったほどだ。これは、クラブチームの試合で無く代表戦で、チケットが高額だったため観客が盛り上がらなかったなどと理由が言われたが、はっきり言って試合が面白くなかった。そんな試合で盛り上がりようがない。またクラブチームの試合でも、いくら贔屓のチームを応援すると言っても、不甲斐ないプレーに対して容赦ないブーイングや抗議の気持ちを込めて、相手チームへの「オーレー!」と掛け声になることもある。観客はそうやって試合に参加して、ピッチと同じ呼吸をする。日本はゴール裏の熱心なサポーターたちは応援のクオリティを上げようと振りがきれいに揃ったり、90分間大きな声でチャントを歌い続ける献身的な姿が印象的だった。暑い中倒れないか心配なくらいに。

 [岐阜・西濃シティの挑戦]

 岐阜県というのはサッカー強国ではない。サッカー王国静岡を筆頭に愛知もある東海地方において日陰の存在だ。しかし、J2に属するプロクラブを持つ一流のサッカー県であるのは事実だ。
 岐阜というのは大きな土地を持つ県で、細かく分けると西濃、岐阜、中濃、東濃、飛騨となり、同じ岐阜県とはいえ西濃の者が東濃に足を踏み入れることはなかなか無いし、今や世界遺産として世界中の観光客が大挙して訪れる白川郷にも実は行ったことが無いという県民もたくさんいる。

 さて、 2017年にこの岐阜で壮大な夢を持つ一つのサッカークラブが生まれた。その名は西濃シティ。西濃地方の中心地である大垣は、歴史を辿れば古代から不破の関という東西日本の境界があり、国にとって極めて重要な土地だ。そして、ご存知の通り天下分け目の関ヶ原は西濃地方にある。豊かな土壌と清流に恵まれた地域であり、東西の文化が分かれるおもしろい地域でもある。関ヶ原は関西イントネーションになり、餅が関東文化の四角から西文化の丸餅に変わるところである。ちなみに私の実家の揖斐郡揖斐川町は四角餅である。

 岐阜というのは、存在感の薄い県と言われるが、世が世なら天下の中心地であった。
「美濃を制するものは天下を制す」

 戦国時代の歴史の舞台はまさに岐阜であったのだ。しかし、徳川の世になると下克上の気風が漂っていた岐阜は危険地域であったため有力勢力が育たないように、中小の親藩・外様大名に御家人や尾張藩領、幕府直轄の天領が入り乱れるモザイク状の分断統治で骨抜きにされたのだった。
と、歴史講義はさておき、西濃地方は岐阜県サッカーの歴史においても極めて重要な地であった。Jリーグが始まる前のJFL時代、西濃運輸のサッカー部こそ岐阜サッカーの誇りであった。その後、FC岐阜へと続くわけである。

 そんな西濃地方でわずか7人で始まった西濃シティは2年半を経て今では70人にまで増えた。創設者で代表の高木政人さんは元FC岐阜の選手で、鈴木祐介さんとともに岐阜から“チャンピオンズリーグで活躍できる選手を育てる”と壮大な目標を掲げてクラブを運営している。少しずつ大会での結果も出ているが、それが最終目標ではないと高木さんは言う。子供達に将来の自分を支える確かな技術(ボールタッチ)を習得させ、ジュニアの段階で徹底的に個の力を磨いてこそ次のステージに躍進すると育成方針を掲げる。
テクニックを磨いてこそサッカーと言うのはブラジルでは当たり前のことだ。いや、世界でも。

 2014年W杯でドイツがブラジルを7-1で大破したが、ドイツはその昔のフィジカルと勝負強さだけのドイツではなかった。ボールタッチも柔らかく足元の技術がしっかりしていた。今や子供の時からテクニックを磨くことの大切さを浸透させ、一人一人の技術力が高くなっている。

 テクニックがあれば年齢もカバーする。サンパウロFCにコパアメリカのMVPプレーヤーが加入した。元バルセロナ、PSGのダニエル・アウヴェスだ。ダニエルは36歳だが、力の衰えは感じさせない。アーセナル、トッテナム、インテルなど欧州ビッグクラブからのオファーを蹴ってブラジルに帰国することを選んだ。
世界トップのサイドバックとしてオーバーラップできる瞬発力、スピード、90分間途切れないスタミナ、持久力、戦術理解力、ゲームリーディング、長年の経験を持っているが、36歳でありながら彼がコパアメリカの最優秀選手に選ばれたのは、ハイレベルのテクニックが備わっているから。決勝で見せたフェイント、パス、クロス、どれを取っても超一流の技術力だった。

 身長も高くない、フィジカルもムキムキということもなく、しなやかな身体をしているダニエルは日本人とあまり変わらない体型だ。今や日本の選手が海外にどんどん出ていくルートが増えた。海外に出れば国内以上に厳しい目にさらされ、時には容赦ないブーイングを受け、家から外に出ることが怖いくらいにプレッシャーを受けながら成長していく。惜しみない賞賛と罵倒は瞬時に切り替わる。そんなぎりぎりのところでプレーをする選手たちは成長していく。

 いつか岐阜からCLので活躍する選手が現れるのを楽しみに!(大野美夏=サンパウロ通信員)

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